新大工町停留場
長崎県長崎市にある長崎電気軌道の路面電車停留場
新大工町停留場(しんだいくまちていりゅうじょう、新大工町電停)は、長崎県長崎市新大工町にある長崎電気軌道蛍茶屋支線の路面電車停留場。駅番号は40。2号系統、3号系統、4号系統、5号系統が停車する。
新大工町停留場 | |
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諏訪神社側より見た停留所 | |
しんだいくまち Shindaiku-machi | |
◄39 諏訪神社 (0.2 km) (0.4 km) 新中川町 41► | |
所在地 | 長崎県長崎市新大工町71番地先 |
駅番号 | 40 |
所属事業者 | 長崎電気軌道 |
所属路線 | 蛍茶屋支線(□2号系統・■3号系統・■4号系統・■5号系統) |
キロ程 | 1.5 km(西浜町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
3,700人/日 -2015年- |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)12月20日 |
歴史
編集新大工町停留場は1934年(昭和9年)12月に開業した[1]。馬町 - 蛍茶屋間の開通と同日のことである[2][3]。
年表
編集構造
編集新大工町停留場は併用軌道区間にあり、道路上にホームが置かれる[9][10]。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟んで向かい合わせになっている(相対式ホーム)[9][10]。線路の北側にあるのが蛍茶屋方面行きのホーム、南側にあるのが西浜町・長崎駅前方面行きのホーム[9][10]。ホームには横断歩道橋が接続していて、出入りにはこれが使用されていた[6][11]が、バリアフリーの観点から2019年(平成31年)2月に横断歩道と道路信号が設置され平面移動による出入りが可能となった[8]。歩道橋の一端は停留場の脇にあった百貨店・長崎玉屋の2階(1969年開業・2014年閉店[12])に接続、もう一端は立体駐車場に接続されていた[1]。
歩道橋は玉屋ビルの解体と時期を同じくして撤去されることとなったが[13]、再開発完了後にエレベーター付きの歩道橋が再設置されることになっている[14]。
利用状況
編集長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。
周辺
編集隣の停留場
編集脚注
編集- ^ a b c 田栗 & 宮川 2000, pp. 74–75.
- ^ a b c 今尾 2009, p. 58.
- ^ 100年史, p. 129.
- ^ 100年史, p. 139.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 195.
- ^ a b c d e 田栗 2005, p. 85.
- ^ 20年の歩み, p. 146.
- ^ a b “新大工町電停バリアフリー化・新大工町交差点右折専用信号の設置”. 長崎市ウェブサイト (2019年2月25日). 2019年7月27日閲覧。
- ^ a b c 100年史, p. 130.
- ^ a b c 川島 2013, p. 48.
- ^ 川島 2007, p. 122.
- ^ “【平成の長崎】長崎玉屋が閉店 45年の歴史に幕”. 長崎新聞社 (2019年2月12日). 2019年8月31日閲覧。
- ^ “路面電車と歩道橋のオブジェ 再開発で変わる町の一場面”. https://nordot.app/522610512178283617. (2019年7月13日)
- ^ “長崎市│市政への提案”. 長崎市. 2019年9月4日閲覧。
- ^ 100年史, p. 125.
- ^ 100年史, p. 126.
参考文献
編集- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 川島令三『全国鉄道事情大研究』 九州篇 2、草思社、2007年。ISBN 978-4-7942-1562-8。
- 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
- 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
- 『ふりかえる20年の歩み』1985年。
- 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。