新内外綿
新内外綿株式会社(しんないがいめん、英: Shinnaigai Textile Ltd.)は大阪府大阪市にある繊維会社。シキボウの100%子会社。
敷島ビル(本社事務所) | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | 新内外・内外綿 |
本社所在地 |
日本 〒541-0051 大阪府大阪市中央区備後町三丁目2番6号 |
設立 | 1948年(昭和23年)12月6日 |
業種 | 繊維製品 |
法人番号 | 3120001082007 |
事業内容 | アパレル製品・紡績 |
代表者 | 長門 秀高(代表取締役社長) |
資本金 | 7億3140万4千円 |
発行済株式総数 | 195万9800株 |
売上高 |
連結:40億7,728万6千円 単独:30億4,533万1千円 |
営業利益 |
連結:△8,594万0千円 単独:△8,067万6千円 |
純利益 |
連結:△2億1,378万6千円 単独:△1億5,448万7千円 |
純資産 |
連結:25億4,042万8千円 単独:26億587万2千円 |
総資産 |
連結:41億5,798万6千円 単独:42億6,663万9千円 |
従業員数 | 連結:86人 単独:36人 |
決算期 | 3月25日 |
主要株主 | シキボウ(株) 100% |
主要子会社 | (株)ナイガイテキスタイル 100% |
関係する人物 | 武居綾蔵 |
外部リンク | http://www.shinnaigai-tex.co.jp/ |
特記事項:各種指標は2020年3月期のデータ |
沿革
編集会社概要
編集在華紡・「内外綿」
編集1887年8月27日、大阪の繰綿問屋4社の共同出資で内外綿(ないがいめん[2])創立(資本金50万円)、当初は日本国産および中国産綿の安定確保を目的とする商社であったが、後にインド産やアメリカ産をも取り扱うようになる。1903年以降は紡績業にも進出し、いち早く作業工程に機械化を推進し国内での繊維部門の中核企業へ早期に成長するとともに、同業他社との競争で苦戦を強いられていた商社から紡績業への転換が図られた。明治40年代には商社時代のつながりを生かす形で生産拠点を中国本土に拡大し、1911年に上海に工場を建設する。以降、青島・金州などにも工場を建設、国策企業としての一翼を担い昭和10年代には日本を代表する紡績会社へと躍進していったが、一方で有力在華紡の1つとして五・三〇事件などの反日運動の舞台ともなった。日中戦争によって青島工場が破壊されるものの、日本軍が占領した繊維工場の経営委任や重化学工業への進出などの勢力拡大の展開も見られた。
「新内外綿」への再生
編集日本の太平洋戦争敗戦に伴い内外綿は中国本土の対外資産を失いかつ戦後の財閥解体対象企業に指定され、1948年に第二会社として新内外綿を設立(旧・内外綿は1949年に解散)、往時の規模を大幅に縮小しての再出発となった。1950年からは朝鮮戦争の特需により米軍用制服等の原料となる綿糸の生産はフル稼働となった。その後は紡績技術を応用しての繊維新素材の開発・研究に注力している。また、親会社シキボウ・子会社ナイガイテキスタイルとの共同事業も行なっている。
工場
編集かつては滋賀県に彦根工場(彦根市小泉町)があったが、1998年6月に閉鎖、2002年3月に工場跡地売却。 ナイガイテキスタイル(海津)は2019年内部構造改装中。効率のいい生産スタイルを構築中。
関連会社
編集脚注
編集参考文献
編集- 高村直助「内外綿会社」『国史大辞典 10』(吉川弘文館 1989年) ISBN 978-4-642-00510-4
- 高村直助「内外綿会社」『日本史大事典 5』(平凡社 1993年) ISBN 978-4-582-13105-5
- 加藤幸三郎「内外綿」『日本歴史大事典 3』(小学館 2001年) ISBN 978-4-09-523003-0