斎藤斉
大正・昭和期の逓信技師、政治家、華族
斎藤 斉(さいとう ひとし、旧字体:齋藤󠄁 齊、1898年〈明治31年〉12月2日[1] - 1961年〈昭和36年〉1月23日[1][2])は、大正から昭和期の逓信技師、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・豊川[1]。位階は正四位[2]。勲等は勲四等[2]。
斎藤斉 さいとう ひとし | |
---|---|
| |
生年月日 | 1898年12月2日 |
没年月日 | 1961年1月23日(62歳没) |
出身校 | 東京帝国大学理学部数学科卒業 |
前職 | 逓信官僚 |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
正四位 勲四等 |
親族 |
父・豊川良平(貴族院議員) 養父・斎藤実(内閣総理大臣) 義父・有馬頼寧(農林大臣) |
在任期間 | 1944年4月8日 - 1947年5月2日 |
経歴
編集実業家・豊川良平の五男として生まれ、海軍士官・斎藤実の養子となる[1][3]。
1924年(大正13年)東京帝国大学理学部数学科を卒業[2][3]。1925年(大正14年)内閣統計局統計官補に就任[2]。以後、簡易保険局技師兼通信技師、兼内閣統計局統計官、保険院技師、通信院工務局標準電波建設所長、保険院保険制度調査会幹事、統計数理研究所参与、社会保険制度調査会委員、木船保険審査会委員などを務めた[2][3]。
養父が二・二六事件で薨去したことにより、1936年(昭和11年)6月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
1944年(昭和19年)4月8日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[5][6]、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。墓所は多磨霊園(7-1-2-16)
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 斎藤実 |
子爵 斎藤(実)家第2代 1936年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |