斎藤その女(さいとう そのじょ、天明2年(1782年[1] - 慶応4年(1868年[1])は、江戸時代後期に活躍した女流俳人である。

雀と遊ぶその女の図 柴田是真

来歴

編集

大穴村(現在の千葉県船橋市大穴)の名主斎藤安兵衛家に生まれ[2]、幼時から俳諧に親しんだ。夏目成美田川鳳朗鈴木松什に師事した[1]。文政13年(1830年)夫が死去したため寡婦となり[1]、50代以降は俳諧と念仏に没頭した。

文久3年(1863年)その女は、三山地区周辺の俳人を募り、二宮神社に句額を奉納した[3]。この額は現在、船橋市指定有形文化財である[3]。また、傘寿の記念に『憑蔭集(たのむかげしゅう)』という俳諧集が刊行された[1]。この句集には、雀と遊ぶその女を描いた柴田是真蒔絵師)の絵が添えられている[2]。慶応4年(1868年)1月28日に87歳で没した[1]

墓標は大穴北の西光院にあり、船橋市指定史跡となっている[2]

斎藤その女に関わる文化財

編集
  • 船橋市指定文化財
    • 斎藤園女等二宮神社奉納句額(船橋市指定有形文化財)[3]
    • 斎藤その女の墓(船橋市指定史跡)[2]

出典

編集
  1. ^ a b c d e f 船橋市史談会『憑蔭集』船橋市史談会、1984年3月、73-74頁。 
  2. ^ a b c d 俳人斎藤その女の墓”. 船橋市ホームページ. 2023年6月9日閲覧。
  3. ^ a b c 斎藤その女等奉納句額”. 船橋市ホームページ. 2023年6月9日閲覧。

関連項目

編集