斉藤肇
斉藤 肇(さいとう はじめ、1973年7月22日 - )は、静岡県富士宮市出身の元プロ野球選手(投手、右投左打)・野球指導者。
星陵高等学校 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 静岡県富士宮市 |
生年月日 | 1973年7月22日(51歳) |
身長 体重 |
182 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト4位 |
初出場 | CPBL / 2001年3月11日 |
最終出場 | CPBL / 2001年10月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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来歴・人物
編集富士宮市の星陵高では2年夏に県大会ベスト8、通算44試合で407奪三振[1]。1991年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズと広島東洋カープから4位指名を受け、抽選により横浜に入団。
早くからファームでは先発として投げていたが、安定した成績が残せずその後は中継ぎでの登板が増え、9年間で227試合に登板したが、一軍での登板はないまま2000年オフに戦力外通告を受け退団。二軍における227試合登板は、金剛弘樹(中日)の282試合登板に次ぐ2位記録である。また227試合はイースタン・リーグの1位記録であり、一軍登板経験がない投手として1位記録でもある。
2001年に台湾・兄弟エレファンツへ入団。2002年に日本に帰国して、社会人野球の日立製作所に入団しチームのエースとして活躍。その後若手の台頭もあり、2005年シーズン限りで現役を引退。2006年から2007年まで同チームの投手コーチを務めた。
2008年から古巣横浜に復帰し、打撃投手やスコアラーを13年間務めた。
2021年2月に学生野球の指導資格を回復し、4月より母校の星陵高等学校の職員として採用され、野球部のコーチに就任[2]。
詳細情報
編集NPB投手記録
編集1992年5登板9回0勝2敗0H0s2三振3.92
1993年19登板82回9勝4敗0H2s52三振2.06
1994年22登板102回12勝5敗0H0s80三振1.99
1995年62登板64回6勝3敗22H9s45三振2.52
1996年70登板74回4勝4敗0H19s62三振1.92 月間MVP(5月、7月、8月) オールスター選出
1997年69登板72回7勝4敗0H22S60三振2.98 交流戦MVP
1998年49登板52回4勝5敗0H12S39三振1.59
1999年29登板154回14勝6敗0H2s98三振2.56 オールスター選出・MVP(第2戦)
2000年12登板50回2勝5敗0H4s29三振4.59
年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2001 | 兄弟 | 28 | 21 | 4 | 0 | 1 | 7 | 8 | 3 | -- | .467 | 587 | 137.2 | 136 | 9 | 56 | 1 | 4 | 96 | 18 | 0 | 70 | 59 | 3.86 | 1.39 |
CPBL:1年 | 28 | 21 | 4 | 0 | 1 | 7 | 8 | 3 | -- | .467 | 587 | 137.2 | 136 | 9 | 56 | 1 | 4 | 96 | 18 | 0 | 70 | 59 | 3.86 | 1.39 |
表彰
編集- CPBL
- 月間MVP:1回(2001年7月)
背番号
編集- 54 (1992年 - 2001年)
脚注
編集- ^ '94スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
- ^ “元横浜の斉藤肇氏が静岡・星陵高コーチ就任…1991年ドラフトでDeNA・三浦大輔監督と同期入団”. スポーツ報知 (2021年3月25日). 2021年3月28日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の各国通算成績 CPBL