斉藤直哉
日本のプロ野球選手 (1967-)
斉藤 直哉(さいとう なおや、1967年1月24日 - )は、埼玉県川越市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県川越市 |
生年月日 | 1967年1月24日(57歳) |
身長 体重 |
188 cm 71 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト外 |
初出場 | 1987年6月4日 |
最終出場 | 1987年6月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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来歴・人物
編集城西大川越高から、1984年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団[1]。内角低めに食い込むシュートと様々な落ち方をするフォークが武器。
ウエスタンではローテーションで活躍し、1年目の1985年9月5日の対近鉄戦では9回完了まで無安打無得点の投球。2年目の1986年は27試合に登板して8勝1敗で勝率1位になっている[2]。
1987年に一軍初登板を果たすが、肩を痛めた影響もあり1989年からは練習生になり同年限りで阪神を退団した[1]。
阪神退団後は三井リハウス東京(現:三井不動産リアルティ)に勤務。現在は、三井のリハウス高田馬場センターのユニットリーダーを務めている[3]。また、日本不動産野球連盟所属の同社軟式野球チームでプレーし[2]、その後、コーチ役も務めている[4]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1987 | 阪神 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.1 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 10.38 | 2.08 |
通算:1年 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 4.1 | 8 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 5 | 10.38 | 2.08 |
記録
編集- 初登板:1987年6月4日、対広島東洋カープ10回戦(阪神甲子園球場)、7回表1死に4番手で救援登板、2/3回無失点
- 初奪三振:1987年6月7日、対横浜大洋ホエールズ8回戦(札幌市円山球場)、8回裏に相川英明から
背番号
編集- 53 (1985年 - 1989年)
脚注
編集- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、237ページ
- ^ a b “10指に余るRBAの元プロ野球選手”. RBAタイムズ (2006年6月29日). 2020年9月23日閲覧。
- ^ “三井のリハウス 高田馬場センターの営業ユニット一覧”. 三井のリハウス. 2020年9月23日閲覧。
- ^ “三井リハウス東京が快勝 134歳トリオが大活躍”. RBAタイムズ (2009年7月9日). 2020年9月23日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 斉藤直哉 - NPB.jp 日本野球機構