改鈴谷型重巡洋艦
改鈴谷型重巡洋艦(かいすずやがたじゅうじゅんようかん)は、大日本帝国海軍の未成重巡洋艦。伊吹型重巡洋艦(いぶきがたじゅうじゅんようかん)[9]とも呼ばれる。
改鈴谷型重巡洋艦 | |
---|---|
基本情報 | |
艦種 | 重巡洋艦 |
命名基準 | 山の名 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
建造数 | 2隻 |
前級 |
高雄型重巡洋艦 最上型重巡洋艦 利根型重巡洋艦 |
次級 | なし |
要目 (「重巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」による第300号艦型、昭和16年12月19日報告の計画値。) | |
基準排水量 | 12,200英トン[1] |
公試排水量 | 13,870トン[1] |
全長 | 200.6m[1] |
最大幅 | 20.2m[1] |
吃水 | 6.043m(公試平均)[1] |
主缶 | ロ号艦本式缶8基[3] |
主機 | 艦本式ギヤード・タービン4基4軸推進[3] |
出力 | 152,000hp[3] |
最大速力 | 35.0ノット[1] |
航続距離 | 14ノット/6,300浬[1] |
燃料 | 重油:2,163トン(満載)[1] |
乗員 |
876名(計画)[4] 874名(伊吹予定定員)[5] |
兵装 |
50口径20.3cm連装砲塔5基[7] 40口径12.7cm連装高角砲4基[7] 25mm連装機銃4基[7] 13mm連装機銃2基[7] 61cm4連装魚雷発射管4基[8] |
装甲 |
弾薬庫:甲板40mmCNC、舷側140mmCNC[2] 機関室:甲板35mmCNC、舷側100mmNVNC、35mmCNC[2] 舵取機室:甲板35mmCNC、舷側100mmNVNC、50mmCNC[2] |
搭載機 |
水上機3機 (二座水偵2機、零式一号水偵一型1機)[6] カタパルト2基 |
概要
編集ロンドン軍縮条約により重巡洋艦は対米6割、12隻に抑えられていたが、条約破棄後に最上型4隻、利根型2隻の主砲を20cm砲に換装、開戦時には18隻となり、隻数では対等になっていた[9]。そのため、戦時消耗の補充として1941年11月の昭和16年度戦時建造計画(マル急計画)で2隻の重巡洋艦が計画された[9]。また、日本海軍が目標とした重巡洋艦20隻体制の実現との見方もある[10]。翌年の七九帝国議会で承認、1隻6,000万円の予算が計上され[9]、1番艦は呉海軍工廠、2番艦は三菱重工業長崎造船所で起工された[9]。だがミッドウェー海戦の影響で2番艦は起工直後に建造中止、1番艦「伊吹」は艦隊給油艦として完成することも考えられたが、結局空母へ改造となった[10]。しかしそれも戦局悪化により進捗率80%で工事中止、そのまま終戦を迎えた[9]。
艦型
編集急速建造に対応するために鈴谷型重巡洋艦の船体線図を利用した、改鈴谷型として計画された[10]。1941年11月の商議では防空指揮所の設置、後部マストを第4砲塔直前に移設することが記されている[10]。
船体は鈴谷型と基本的に同じであるが、上甲板のキャンバーがわずかに増やされている[11]。
主砲は鈴谷型と同じ2号20cm連装砲5基、砲塔の形式は利根型と同じE3型、利根型では円錐台形であったリング・サポートは、円筒形となっている[11]。高角砲は当時の標準となる12.7cm連装高角砲4基、砲の形式はA1型だった[11]。機銃は鈴谷型と同じ25mm機銃連装4基、13mm機銃連装2基の計画[7]であるが、もし重巡洋艦として竣工したら、時期的に考えて機銃は更に増備されたと思われる[9]。
魚雷発射管は最上型、利根型の3連装4基から、改装後の妙高型、高雄型と同等の4連装4基[8]に強化されている。建造の進んだ1番艦(第300号艦)では、さらに航空兵装を廃止し5連装発射管5基に変更されたといわれる[10]。このときの詳細な計画は残されていないが、おそらく従来の発射管位置の4か所に加え、後部マスト直前に1基追加したものと思われる[10]。これら雷装の強化は夜戦での使用が重視されたことがうかがわれる[10]。
防御は、機関部については舷側の長さ76.70mに渡り、艦底に向かって内側へ20°の角度を付けた傾斜装甲で、上部100mmNVNC甲鈑[注釈 1]から下部の30mmCNC甲鈑[注釈 2]に連なるテーパード・アーマーを施した[11]。水平防御は中甲板に水平部30mmCNC、傾斜部60mmCNC甲鈑、前後の隔壁部は105mmNVNC甲鈑とした[11]。弾火薬庫は、舷側は機関部と同様の方法で上部140mmNVNCから下部の30mmCNCに連なるテーパード・アーマー、水平部は下甲板に40mmCNC、前後の隔壁部は95mmから140mmのNVNC甲鈑を取り付けた[11]。舵取機室は舷側100mmNVNC、前後の隔壁50mmCNC、水平部は中甲板に30mmCNC甲鈑で防御した[11]。
機関は鈴谷型、利根型と同様の艦本式ボイラー8基、艦本式タービン4基の組み合わせである[3]。ボイラーの蒸気圧、温度は計画では20kg/平方cm、300度[3]であるが、鈴谷型、利根型と同じ22kg/平方cm、300度とする文献もある[12]。利根型では高雄型までと同様に前部機械室のタービンで外軸のスクリューを回転させていたが、本型では鈴谷型と同じ前部と内軸を結ぶ形とした[12]。 推進器直径は3.9mで最上型、利根型の3.8mから0.1m大きくなる計画だった[3]。
同型艦
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h 『一般計画要領書』2頁。
- ^ a b c 『一般計画要領書』19頁。
- ^ a b c d e f 『一般計画要領書』17頁。
- ^ 『一般計画要領書』21頁。
- ^ #S18.5-6内令/昭和18年5月(6)画像14、昭和18年内令第1002号、一等巡洋艦定員表其ノ四。士官35人、特務士官9人、准士官12人、下士官200人、兵618人。
- ^ 『一般計画要領書』16頁。
- ^ a b c d e 『一般計画要領書』4頁。
- ^ a b 『一般計画要領書』6頁。
- ^ a b c d e f g h 石橋孝夫『重巡伊吹型の概要』。
- ^ a b c d e f g 阿部安雄『マル4、マル急計画による重巡建造計画』
- ^ a b c d e f g Japanese Cruisers of the Pacific War p.542
- ^ a b Japanese Cruisers of the Pacific War p.549
参考文献
編集- Eric Lacroix; Linton Wells II (1997). Japanese Cruisers of the Pacific War. Naval Institute Press
- 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年。ISBN 4-7698-0454-7。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 第7巻 重巡III』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0457-1。
- 阿部安雄『最上型の防御計画』。
- 丸スペシャル第124号 『戦時中の日本巡洋艦II』潮書房、1987年。
- 阿部安雄『マル4、マル急計画による重巡建造計画』。
- 石橋孝夫『重巡伊吹型の概要』。
- 『重巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査』
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『昭和18年5月〜6月 内令 2巻/昭和18年5月(6)』。Ref.C12070177700。