揖斐大橋
岐阜県の橋
揖斐大橋(いびおおはし)は、岐阜県大垣市と同県安八郡安八町を結ぶ[6]、揖斐川に架かる岐阜県道31号岐阜垂井線の橋梁である[4]。
揖斐大橋 | |
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基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 岐阜県大垣市万石 - 安八郡安八町西結 間 |
交差物件 | 揖斐川[1] |
路線名 | 岐阜県道31号岐阜垂井線[4] |
管理者 | 岐阜県[2] |
設計者 | 岐阜県(北原技師[1])[3][注 1]。 |
着工 | 1931年(昭和6年)4月[1] |
竣工 | 1933年(昭和8年)6月[6] |
開通 | 1933年(昭和8年)11月15日[5] |
座標 | 北緯35度21分40秒 東経136度39分29秒 / 北緯35.361028度 東経136.658194度座標: 北緯35度21分40秒 東経136度39分29秒 / 北緯35.361028度 東経136.658194度 |
構造諸元 | |
形式 | 曲弦ワーレントラス橋[4] |
材料 | 鋳鋼 |
全長 | 384.80m[7] |
幅 | 14.815m[7] |
最大支間長 | 64m |
関連項目 | |
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概要
編集岐阜県の、昭和恐慌による失業者への救済策である「岐垣国道改築工事事業」[注 2]の一つとして、揖斐川に架橋された[7]。
道路・鉄道併用橋として竣工したが、鉄道計画は事業化されず、1964年(昭和39年)に軌道敷は道路床版に改められ、道路専用橋となった[4]。
土木学会が「日本の近代土木遺産」「土木学会選奨土木遺産」に認定した[8][9]ほか、岐阜県は、「歴史的鋼橋[10]」としている。
関連項目
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 「揖斐大橋工事概要」(PDF)『土木学会誌』第19巻第4号、社団法人土木学会、東京、1933年4月、271-273頁、ISSN 0021468X、全国書誌番号:00017459、2019年11月14日閲覧。
- ^ 岐阜県県土整備部道路維持課「歴史的土木構造物「長良大橋」の保全について」(PDF)『建設マネジメント技術』、一般財団法人経済調査会、東京、2013年10月、76-78頁、全国書誌番号:00108432、2019年11月14日閲覧。
- ^ 「地方通信」(PDF)『道路の改良』第13巻第3号、社団法人道路改良会、東京、1931年3月1日、125-129頁、2019年11月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 福井次郎「忘れられた橋梁技術者・稲葉健三」『土木史研究論文集D2』第73巻第1号、公益社団法人土木学会、東京、2017年、28-41頁、doi:10.2208/jscejhsce.73.28、ISSN 2185-6532、NAID 130005988517。
- ^ 藤井郁夫. “揖斐大橋1933-11-15 - 橋梁史年表”. 土木学会附属土木図書館. 2019年11月14日閲覧。
- ^ a b 岐阜県総務部統計課『昭和40年岐阜県統計書』岐阜県、岐阜、1967年、296-299頁。doi:10.11501/9527098。全国書誌番号:50003949 。2020年11月1日閲覧。
- ^ a b c d 櫻井哲三「岐垣國道改築工事に就て」(PDF)『土木建築工事畫報』第12巻第2号、工事畫報社、東京、1936年2月1日、78-86頁、2019年11月19日閲覧。
- ^ 土木学会土木史研究委員会『日本の近代土木遺産』公益社団法人土木学会、東京、2001年3月。ISBN 9784810602838。全国書誌番号:20214549。
- ^ “土木学会 令和元年度選奨土木遺産 揖斐大橋”. www.jsce.or.jp. 2022年6月9日閲覧。
- ^ 『岐阜県橋梁点検マニュアル』岐阜県県土整備部道路維持課、岐阜、2020年3月、361-390頁 。2020年11月1日閲覧。
- ^ 「岐阜市100年<56> 幻の岐垣鉄道」『岐阜新聞』岐阜新聞社、岐阜、1988年5月12日、第36672号、17面、全国書誌番号:00066208。