戸田熊彦
戸田 熊彦(とだ くまひこ、1843年3月(天保14年2月[1][2])- 1896年(明治29年)2月5日[1][2])は、明治期の教育者、政治家。衆議院議員。
経歴
編集肥後国玉名郡、のちの熊本県玉名郡大田黒村(神尾村[2]大田黒[3]、三加和村、三加和町を経て現和水町)で生まれた。木下韡村に師事して漢学を修めた[3]。
明治維新後、地域の読書、習字の指南役となり、里正を務めた[3]。西南戦争後、神尾村に猶興学舎[3][注釈 1]を設けて国家主義により子弟を教育した[3]。
政界では熊本県会議員に選出され[3]、玉名郡書記も務めた[1][2]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(熊本県第2区、国民協会)で当選し[3][4]、同年9月の第4回総選挙(熊本県第2区、国民協会)でも再選され[5]、衆議院議員に連続2期在任[1][2]。1896年2月、帝国議会開会中に死去した[3][6]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』421頁、『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』301頁では有為黌。
出典
編集参考文献
編集- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 角田政治編『肥後人名辞書 全 複刻版』青潮社、1973年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。