戸手
戸手(とて)は、神奈川県川崎市幸区の町名。現行行政地名は戸手1丁目から戸手4丁目。1976年(昭和51年)9月15日に住居表示が実施されている[5]。面積は全域で33.3 haである[2]。
戸手 | |
---|---|
町丁 | |
北緯35度32分43秒 東経139度41分29秒 / 北緯35.545158度 東経139.69145度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川 |
市町村 | 川崎市 |
行政区 | 幸区 |
人口情報(2024年(令和6年)9月30日現在[1]) | |
人口 | 7,098 人 |
世帯数 | 3,284 世帯 |
面積([2]) | |
0.332999872 km² | |
人口密度 | 21315.32 人/km² |
設置日 | 1976年(昭和51年) |
郵便番号 | 212-0005[3] |
市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
ウィキポータル 日本の町・字 ウィキポータル 神奈川県 ウィキプロジェクト 日本の町・字 |
地理
編集幸区の東端に位置し、多摩川に面する[6]。一帯は川崎市立御幸中学校を除いて、ほとんどが住宅地となっている[7]。また、第二京浜国道(国道1号)が域内を通過し、南端を府中街道(国道409号)が通っている。
戸手は北端で小向西町・小向町と、東端では多摩川を挟んで東京都大田区西六郷と、南端では幸町や、府中街道を境として河原町・遠藤町・紺屋町と接している(特記のない町域は神奈川県川崎市幸区)。
地価
編集住宅地の地価は2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば戸手3丁目3-4の地点で307,000円/m²となっている[8]。
歴史
編集中世以前
編集当地の文献での初出は「小田原衆所領役帳」で、小田原北条氏傘下である小机衆の領地となっていることが残されている[9]。
江戸時代
編集江戸時代の当地ははじめ天領であり、一時久世氏領となったものの天領へ戻ったが、徳川家継(有章院殿)の死とともに、その御霊屋料として増上寺へ寄進された[10]。1694年(元禄7年)以降には川崎宿の定助郷が課されていたが[9]、増上寺領となってからは、幕末の元治期に至るまで[11]免除されていた[9]。村高は、正保期の「武蔵田園簿」[12]から、「元禄郷帳」、「天保郷帳」、幕末の「旧高旧領取調帳」を通じて409石1斗あまりであった[10]。
農地としてはほとんどが水田であったが[13]、梨の栽培も行われ、江戸へ出荷されていた[14]。水利としては二ヶ領用水を用いたが、水争いも起きており、特に1771年(明和8年)には、戸手村・古川村・小向村など5村と下流の3村の間で、分水口の数をめぐり争論となっている[15]。元来は1村1堰であったものが、いつしか崩れていきさらに取水が行われた結果の争いであった[16]。
明治以降
編集明治以降、当地は行政上御幸村→川崎市と推移していった。御幸村の役場は当初塚越にあったが、当地に移転した[7]。明治時代には梨の生産が最盛期を迎えたが、大正に入ると周囲の宅地化、そして庭木として植えられたビャクシン属の樹木による赤星病などで衰退していった[17]。その他モモ・イチジクの栽培や養蚕も行われていたが、いずれも大正末までには衰退している[18]。
川崎市となって以降、耕地整理などによって、遠藤町・神明町・紺屋町・河原町・戸手本町というように、戸手から多くの町が分立していった。また、戸手町も分立したが、これは住居表示の実施とともに戸手となった[18]。
地名の由来
編集いくつかの説はあるが、正確なところはわかっていない[13]。
沿革
編集- 16世紀後半 - 「小田原衆所領役帳」に戸手の記述が残る。
- 江戸時代はじめ - 当地は天領であった。
- 1664年(寛文4年)- 久世氏領となる[13]。
- 1686年(貞享3年)- 天領に戻る[13]。
- 1717年(享保2年)- 有章院殿御霊屋料として増上寺領となる[14]。
- 1868年(明治元年)- 明治維新。当地は神奈川県所属となる。
- 1874年(明治7年)- 大区小区制の施行により、当地は第4大区第6小区となる[14]。
- 1889年(明治22年)- 町村制施行により御幸村が成立。戸手はその大字となる。
- 1924年(大正13年)- 御幸村・川崎町・大師町の合併で川崎市が成立。当地は川崎市戸手となる。
- 1928年(昭和3年)- 遠藤町・神明町一丁目[19]・紺屋町・河原町が分立[14]。
- 1936年(昭和11年)- 戸手町一丁目・二丁目が分立[18]。
- 1938年(昭和13年)- 神明町二丁目が分立[19]。
- 1951年(昭和26年)- 戸手本町が分立。
- 1967年(昭和42年)- 御幸保健所(現在の幸保健所)が設置される[18]。
- 1971年(昭和46年)- 御幸消防署(現在の幸消防署)が設置される[18]。
- 1972年(昭和47年)- 川崎市が政令指定都市に移行。川崎市幸区戸手となる。
- 1976年(昭和51年)- 戸手町と戸手に住居表示が実施され、戸手1丁目~4丁目となる[14]。戸手町と、大字としての戸手は消滅[18]。
- 1999年(平成11年)8月 - 「弱い熱帯低気圧」による大雨により多摩川が増水し浸水被害が出た。[20]
小字
編集世帯数と人口
編集2024年(令和6年)9月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
戸手1丁目 | 401世帯 | 730人 |
戸手2丁目 | 555世帯 | 1,139人 |
戸手3丁目 | 506世帯 | 1,035人 |
戸手4丁目 | 1,822世帯 | 4,194人 |
計 | 3,284世帯 | 7,098人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[22] | 4,449
|
2000年(平成12年)[23] | 4,249
|
2005年(平成17年)[24] | 4,589
|
2010年(平成22年)[25] | 5,680
|
2015年(平成27年)[26] | 5,877
|
2020年(令和2年)[27] | 6,974
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[22] | 1,881
|
2000年(平成12年)[23] | 1,825
|
2005年(平成17年)[24] | 1,969
|
2010年(平成22年)[25] | 2,524
|
2015年(平成27年)[26] | 2,476
|
2020年(令和2年)[27] | 2,993
|
学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年12月時点)[28][29]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
戸手1丁目 | 全域 | 川崎市立西御幸小学校 | 川崎市立御幸中学校 |
戸手2丁目 | 全域 | 川崎市立御幸小学校 | |
戸手3丁目 | 全域 | ||
戸手4丁目 | 全域 |
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[30]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
戸手1丁目 | 35事業所 | 243人 |
戸手2丁目 | 31事業所 | 339人 |
戸手3丁目 | 14事業所 | 34人 |
戸手4丁目 | 21事業所 | 158人 |
計 | 101事業所 | 774人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[31] | 101
|
2021年(令和3年)[30] | 101
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[31] | 675
|
2021年(令和3年)[30] | 774
|
交通
編集路線バス
編集川崎市交通局・東急バスの2事業者が、府中街道、第二京浜、多摩沿線道路を経由して路線バスを運行している。
道路
編集施設
編集- 幸保健所
- 川崎市消防局幸消防署
教育
編集その他
編集日本郵便
編集警察
編集町内の警察の管轄区域は以下の通りである[33]。
丁目 | 番・番地等 | 警察署 | 交番・駐在所 |
---|---|---|---|
戸手1丁目 | 全域 | 幸警察署 | 小向東芝町交番 |
戸手2丁目 | 全域 | ||
戸手3丁目 | 全域 | ||
戸手4丁目 | 全域 | 河原町交番 |
脚注
編集- ^ a b “令和6年町丁別世帯数・人口 9月末日現在” (xls). 川崎市 (2024年10月25日). 2024年10月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ a b “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)の数値」令和2年国勢調査)” (XLS). 川崎市 (2024年1月25日). 2024年3月20日閲覧。 “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”
- ^ a b “戸手の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “区別町名一覧表(幸区)”. 川崎市 (2022年1月28日). 2023年5月19日閲覧。
- ^ 『川崎の町名』 p.96。
- ^ a b 『川崎の町名』 p.97。
- ^ “不動産情報ライブラリ 国土交通省地価公示(標準地) 川崎幸-2”. 国土交通省. 2024年4月2日閲覧。
- ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.627。
- ^ a b 『川崎地名辞典』 pp.112-113。
- ^ 『川崎 幸区地誌』 p.33。
- ^ なお、ここでは戸出村とある(『川崎地名辞典』 p.112)。
- ^ a b c d e 『川崎地名辞典』 p.112。
- ^ a b c d e 『川崎地名辞典』 p.113。
- ^ 『川崎 幸区地誌』 pp.229-230。
- ^ 『川崎 幸区地誌』 p.230。
- ^ 『川崎 幸区地誌』 p.34。
- ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.628。
- ^ a b 『川崎の町名』 p.94。
- ^ 「弱い熱帯低気圧」による大雨
- ^ 『川崎地名辞典』 p.114。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “幸区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年12月28日). 2024年1月28日閲覧。
- ^ “幸区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2023年12月28日). 2024年1月28日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿PDF(2024年度版) 表紙等付属資料” (PDF). 日本郵便. 2024年12月2日閲覧。 “郵便番号データダウンロード 郵便番号簿PDF(2024年度版)”
- ^ “交番案内/幸警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2023年8月15日閲覧。
参考文献
編集- 『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。
- 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。
- 幸区地誌刊行会『川崎 幸区地誌』有隣堂、1989年。ISBN 4-89660-090-8。