成沢 栄寿(なるさわ えいじゅ、1934年6月 - )は日本の歴史家。専門は日本史部落問題、歴史教育、同和教育。東京府出身[1]

経歴

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戦前の融和運動家で戦後は部落解放全国委員会の常任中央委員などを歴任した成沢英雄成澤英雄)を父として東京市足立区に生まれる[2]。祖父は上田藩穢多頭の分家の子孫[3]1944年上田市の部落に疎開し、祖父から部落の歴史を聞かされる[4]。新制中学校に入った頃から部落解放全国委員会の業務を手伝い、長野県上田高等学校を経て早稲田大学に入学[5]1955年、早稲田大学部落問題研究会の創立に参加、初代幹事長をつとめる。1959年早稲田大学文学部哲学科東洋哲学専修卒業。1962年早稲田大学大学院修士課程(文学研究科、史学)修了。

1961年東京立正高等学校教諭[2]国民融合をめざす部落問題全国会議代表幹事ならびに同事務局長、全国部落問題研究協議会代表幹事、部落問題研究所理事、東京部落問題研究会事務局長などを歴任。大東文化大学その他で歴史教育や同和教育を講義。1990年から1996年まで長野県短期大学教授1996年から2000年まで同学長をつとめた。2002年から部落問題研究所理事長。

著書

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脚注

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  1. ^ 『資料集 怒りと友情のスクラム』11頁(部落問題研究所)には、成沢栄寿を講師に招いた自主ゼミの実行委員の発言として「先生ご自身が部落の出身である」とある。
  2. ^ a b 『早稲田大学部落問題研究会』編者紹介
  3. ^ 『早稲田大学部落問題研究会』243頁
  4. ^ 『早稲田大学部落問題研究会』261頁
  5. ^ 『早稲田大学部落問題研究会』260-263頁