名古屋博物館
概要
編集愛知県下の産業振興を目的とした物産陳列館で、開設時に開催された「名古屋博覧会」などの愛知県の物産展示会場となったほか、書画骨董の展示会や茶会・演奏会の会場など様々な用途に使用された。当初の半官半民の運営から、1881年に公立名古屋博物館、1883年に県立の愛知県博物館となり、1910年に愛知県商品陳列館と改名していった。愛知県博物館時代には、門前町博物館、愛知博物館とも呼ばれた。
その後2012年までに、愛知県商品陳列所、愛知県商工館、愛知県中小企業センター、愛知県中小企業振興公社、あいち産業振興機構と組織変更を経ながら存続している。[1]
沿革
編集名古屋博物館
編集名古屋博物館は、名古屋区門前町總見寺境内に、愛知県下の産業振興を目的とした物産陳列館として新築された[2]。総工費12,252円のうち県費の補助は6,157円で、残額は民間からの寄付金で賄われた[2]。
1878(明治11)年9月15日に落成[2]。同日から11月3日まで50日間、「名古屋博覧会」を開催し、公立医学校の教頭だったローレツが人骨などを出品した[2]。
公立名古屋博物館
編集1881(明治14)年に公立名古屋博物館と改称[2]。
愛知県博物館
編集1883(明治16)年7月、県立の博物館となり、同年9月、愛知県博物館と改称[2]。門前町博物館、愛知博物館とも呼ばれた[3]。
1890年6月、常時開館となる[2]。
愛知県博物館では、県下産品の物産展が開かれたほか、書画骨董の展示会や、備え付けの「猿面の茶室」での茶会、明清楽の演奏会などが催された[4]。
1907(明治40)年、建物を取り壊し[2]。
愛知県商品陳列館
編集1910年、改築が完了し、愛知県商品陳列館と改称[2]。
その後
編集その後、2005年までに、愛知県商品陳列所、愛知県商工館、愛知県中小企業センター、愛知県中小企業振興公社へと改称[2]。
(財)愛知県中小企業振興公社は2006(平成18)年4月に(財)あいち産業振興機構に名称を変更し、2011(平成23)年12月に公益財団法人へ移行した[5]。
脚注
編集- ^ この記事の主な出典は、あいち産業振興機構 (2012)、蟹江 & 西川 (2006)および西川 (2005)。
- ^ a b c d e f g h i j 西川 2005, p. 174.
- ^ 蟹江 & 西川 2006, p. 273.
- ^ 蟹江 & 西川 2006, pp. 273–275.
- ^ あいち産業振興機構 2012.
参考文献
編集- あいち産業振興機構 (2012年). “トップページ > あいち産業振興機構について > 機構の概要”. 公益財団法人あいち産業振興機構. 2016年10月30日閲覧。
- 蟹江, 和子、西川, 輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その2)-当時の新聞記事に見るその足跡」(pdf)『名古屋大学博物館報告』第22巻、2006年、267-276頁、2016年10月23日閲覧。
- 西川, 輝昭「愛知教育博物館関係史料の紹介と解説(その1)」(pdf)『名古屋大学博物館報告』第21巻、2005年、173-182頁、2016年10月23日閲覧。