愛甲氏(あいこうし/あいこううじ)は、日本氏族相模国を本拠とする武家。 他流として、島津氏に従って九州に下向した大隅愛甲氏もある。

相模愛甲氏

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相模愛甲氏
 
本姓 横山党
家祖 山口隆兼
種別 武家
出身地 武蔵国
主な根拠地 相模国
著名な人物 愛甲季隆
凡例 / Category:日本の氏族

12世紀の初めに、武蔵七党横山党山口隆兼愛甲内記平大夫を殺害して、相模愛甲郡愛甲庄[1]愛甲[2]に進出した後、その一族が愛甲を称したといわれる。

愛甲季隆元久2年(1205年)の畠山重忠の乱で、北条義時の軍に属して畠山重忠を射止め愛甲の名を高めたが、建暦3年(1213年)の和田合戦和田義盛に味方して敗れ、季隆以下討死し没落した。末裔は14世紀末まで、地方豪族として存在していることが確認されるが、その後の動向は不明。

家系

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横山資高
  ┃
山口光兼
  ┃
 季兼
  ┣━━━━┓
愛甲義久 愛甲季隆
  ┃    ┃
 広基   季通
  ┃    ┃
 通季    某


大隅愛甲氏

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建久年間に愛甲賢雄が、島津忠久薩摩国下向に従って、大隅国桑原郡吉松郷に移り住んだとされる。愛甲一族は、島津家臣として江戸時代も続いた。

脚注

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関連項目

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