愛新覚羅胤祺
愛新覚羅 胤祺(あいしんかくら いんき、満洲語: ᠠᡞᠰᡞᠨ ᡤᡞᠣᠷᠣ
ᡞᠨ ᡣᡞ 転写:aisin-gioro in-ki、1680年1月5日 - 1732年7月10日)は、清の康熙帝の五男。母は宜妃のゴロロ氏。名は雍正帝の即位後に允祺と改めている。
愛新覚羅胤祺 | |
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続柄 | 康熙帝五男 |
出生 |
1680年1月5日 |
死去 |
1732年7月10日 |
子女 | 弘昇 |
父親 | 康熙帝 |
母親 | 宜妃ゴロロ氏 |
生涯
編集康熙35年(1696年)からジュンガル戦で正黄旗大営を任された。康熙48年(1709年)には和碩恒親王、鑲白旗の旗主に封じられた。温厚な人物と評され、兄弟との諍いも少なく、とりわけ胤禵(康熙帝の十四男)と仲が良かった。
雍正4年(1726年)、胤祺の息子の弘昇は「仕事に最善を尽くしていない」という口実で親王世子位を剥奪された。雍正10年(1732年)5月19日に死去。
乾隆帝が即位すると、弘昇の爵位が回復された。
関連項目
編集参考文献
編集- 『清史稿』巻二百二十 列伝七
登場作品
編集- テレビドラマ『宮廷の諍い女』