惟宗公方
平安時代中期の貴族。正五位下・明法博士。子に惟宗公平、惟宗致方
経歴
編集右衛門権少志を経て、醍醐朝の後期の延長4年(926年)以前に明法博士に任ぜられる。以降、醍醐・朱雀・村上・冷泉の四朝30年以上に亘って明法博士を務める。この間、主計助・大判事・勘解由次官・民部少輔・左衛門権佐などを兼帯した。
村上朝の天徳2年(958年)天皇に奏上した勘文に失錯ありとされ、左衛門権佐兼明法博士から大蔵権大輔に左遷される[1]。しかし、天徳4年(960年)頃には明法博士に復帰した。最終官位は明法博士正五位下。
著作に『本朝月令』がある。
官歴
編集- 延喜23年(923年) 2月24日:見右衛門権少志[2]
- 延長4年(926年) 11月25日:見明法博士左衛門大志[3]
- 延長8年(930年) 4月1日:見主計助明法博士[4]
- 承平3年(933年) 7月19日:見主計助明法博士[5]
- 天慶3年(940年) 2月4日:見大判事[6]
- 天慶5年(942年) 2月10日:見大判事勘解由次官明法博士大和介[7]
- 天慶9年(946年) 8月7日:見大判事民部少輔明法博士[8]
- 天暦2年(948年) 6月22日:見従五位上大判事民部少輔明法博士[9]
- 天暦4年(950年) 9月16日:見民部少輔[10]
- 天暦5年(951年) 12月:左衛門権佐[11]
- 天暦7年(953年) 7月17日:左衛門権佐明法博士[12]
- 天徳2年(958年) 10月10日:大蔵権大輔[13]
- 天徳4年(960年) 3月27日:見明法博士?[14]
- 永祚2年(990年) 3月5日:見故明法博士正五位下[15]
脚注
編集参考文献
編集- 宮崎康充編『検非違使補任 別巻』続群書類従完成会、2006年