悲しき願い」(かなしきねがい、Don't Let Me Be Misunderstood )は、ベニー・ベンジャミン、グロリア・コールドウェル、ソル・マーカスが作詞・作曲した1964年の楽曲。歌手ピアニストニーナ・シモン1964年に初めてレコーディングして以降、多数のミュージシャンに採りあげられ、幾多のバージョンが生まれたスタンダード・ナンバー。特に有名なものとしては、1965年アニマルズのバージョン、1977年サンタ・エスメラルダによるディスコ・アレンジのバージョンなどがある。

ニーナ・シモンのオリジナル

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元々は、作曲家兼プロデューサーのホーレイス・オットが、ガールフレンド(後に妻)のグロリア・コールドウェルが思いついた歌詞とメロディを、パートナーのベンジャミン、マーカスの元に持ち込んだものがはじまり[1]

この曲は2人の手によって完成され、1964年のシモンのアルバム『ブロードウェイ・ブルース・バラード』(Broadway-Blues-Ballads)に提供された5曲のうちの1曲としてレコーディングされることになった。このバージョンは非常に遅いテンポでアレンジされ、ハープを含めたオーケストラをバックに、シモンが非常に個性的な彼女のスタイルでそれを歌った。オットは作詞・作曲に関与したのみならず、アルバム全体のプロデュースとオーケストラの指揮もつとめた。1964年にリリースされたシモンのシングルはチャートインしなかった。

しかし時代が変わり、シャーリーズ・セロンが主演したクリスチャン・ディオールの香水のCMやポーランドのドラマ『Rewers』でこの曲が使用されるようになった。

アニマルズ・バージョン

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エリック・バードンは後年「この曲はとてもポップとは言えなかったが、なぜか俺たちのところへやって来た。そして俺たちはすぐにこの曲と恋に落ちた。」と述べている[2]。アニマルズは、曲に自分たちのカラーであるリズム・アンド・ブルースの味付けを施し、曲のテンポを速くした。また、オリジナルのシモン・バージョンのエンディングのフレーズを抜き出して発展させ、ヒルトン・バレンタインギターアラン・プライスオルガンによる印象的なイントロのリフを考案した。このリフに導かれて、バードンのトレードマークである、深い情熱的なボーカルで歌がスタートする。

1965年の彼らのバージョンは大西洋を股に掛けたヒットとなり、イギリスのシングル・チャートの3位、アメリカのポップ・シングル・チャートの15位、およびカナダでも4位にランクされた。

このシングルは「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」の315位に格付けされた。

当時のアニマルズのコンサートではレコードのアレンジを忠実になぞったが、バードンは後年のステージでオリジナルのシモン・バージョンのテイストを盛り込み、ボーカルラインがほとんど「語り」に近くなるまでテンポを落としたアレンジも披露している。

サンタ・エスメラルダ・バージョン

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1977年にリリースされたサンタ・エスメラルダのバージョンは、アニマルズ・バージョンのアレンジを下敷きに、フラメンコサルサ、他のラテン・リズムを加味して装飾したディスコナンバーである。まず最初にアルバム『悲しき願い』アルバムの片面全体を使った16分のエピックとして発表され、カサブランカ・レコードがワールドワイドでの配給権を獲得した。シングルはホット・ダンス/ディスコクラブチャートの最高4位まで上がった[3]。12インチ・クラブリミックスは非常に人気を呼び、ビルボードのクラブ・チャート、その他のヨーロッパ各国で1位を獲得した。その年の暮にはポップスのシングルとしてリリースされ、1978年前半にビルボードHOT100の15位にランクされた。日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1978年2月20日付から17週連続1位を獲得した[4]

使用された番組、作品等

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その他の主なカバー・アーティスト

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脚注

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  1. ^ Hilton Valentine, "Stories", Hiltonvalentine.com, 2001-04-28. Accessed 2007-09-06.
  2. ^ Rolling Stone, "The Animals", Rollingstone.com. Accessed 2007-09-06.
  3. ^ Whitburn, Joel (2004). Hot Dance/Disco: 1974-2003. Record Research. p. 227 
  4. ^ コンピレーション・アルバム『ナンバーワン70s ORICON ヒッツ』の裏ジャケットナンバーワン 70s 80s 90s オリコン・ヒッツも参照。

外部リンク

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