志道 元治(しじ もとはる)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武士毛利氏家臣で長州藩士。父は志道元勝

 
志道元治
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 慶長4年(1599年
死没 万治3年9月29日1660年11月2日
改名 志道金太郎(幼名)→志道元治
別名 通称:太郎次郎→六左衛門尉
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流志道氏
父母 父:志道元勝
神村元種の娘
就行
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生涯

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慶長4年(1599年)、毛利氏家臣・志道元勝の嫡男として生まれる。

慶長7年(1602年6月28日に父・元勝が死去したため、同年7月26日家督を継ぐ。慶長10年(1605年1月5日毛利輝元加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱から「元治」と名乗った。元和2年(1616年12月29日には毛利秀就から「六左衛門尉」の百官名を与えられる。

万治3年(1660年9月29日に死去。享年62。嫡男の就行家督を継いだ。

参考文献

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