志摩マリンレジャー
日本の海運業者
志摩マリンレジャー株式会社(しまマリンレジャー、Shima Marine Leisure Co., LTD)は、日本の海運業者。近鉄グループに属し、三重県鳥羽市と同県志摩市で観光遊覧船や定期船を運航している。
本社の入居する鳥羽マリンターミナル | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒517-0011 三重県鳥羽市鳥羽一丁目2383番地51 鳥羽マリンターミナル2階 |
設立 | 2008年(平成20年)10月1日 |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 8190001007811 |
事業内容 | 海運業、索道事業、遊園地の経営[1] |
代表者 | 代表取締役社長 矢尾弘[1] |
資本金 | 9,000万円 |
従業員数 | 42人(2023年3月現在)[1] |
決算期 | 3月[1] |
主要株主 | 近鉄レジャークリエイト 100%[1] |
外部リンク | www.shima-marineleisure.com/ |
近鉄グループホールディングスの子会社である近鉄レジャークリエイト(旧・近鉄レジャーサービス)の完全子会社である[1]。
事業所
編集- 本社:三重県鳥羽市鳥羽一丁目2383番地51(鳥羽マリンターミナル内)
- 賢島営業所:三重県志摩市阿児町神明752番地11(賢島)
現行の航路
編集遊覧船
編集あご湾定期船
編集過去の航路
編集沿革
編集創立期
編集当初は自動車運輸業者として会社を設立、後に航路を他の事業者から譲り受け海運業に転向する[9]。
- 1927年(昭和2年)4月15日 - 真珠湾交通株式会社[注 1]として設立[9]。
- 1936年(昭和11年)9月 - 浜島 - 鳥羽航路を志摩通運より譲受[9]。
- 1943年(昭和18年)9月 - 自動車運輸事業を三重乗合自動車(三重交通の前身の1社)に譲渡[9]。
- 1944年(昭和19年)4月 - 鳥羽湾交通株式会社を合併し、志摩航運株式会社に改称[9]。
- 1946年(昭和22年)10月 - 賢島 - 尾鷲航路を開設、的矢湾航運合名会社を合併[9]。
拡大期
編集第二次世界大戦後は数社を合併したり、遊覧船の運航を開始するなど事業拡大を推進した[9]。最盛期には三重県のみならず和歌山県にも進出した[9]。
- 1951年(昭和26年)4月 - 志摩観光汽船株式会社に社名変更[9]。
- 1952年(昭和27年)5月 - 鼓ヶ浦、霞ヶ浦[注 2]で出張営業を実施[9]。
- 1953年(昭和28年)7月 - 鳥羽湾納涼船の運航を開始[9]。
- 1956年(昭和31年)3月 - 観光鳥羽汽船有限会社から事業を譲受[9]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)7月 - 名古屋~鳥羽~蒲郡間で水中翼船を就航[11]。
- 1964年(昭和39年) - 和歌山県の勝浦観光汽船株式会社を合併し、志摩勝浦観光汽船株式会社に改称する[11]。
- 1966年(昭和41年) - 鋼船「五十鈴」・「あさま」を導入[11]。
- 1967年(昭和42年)9月3日 - 御座 - 浜島航路にカーフェリー「さきしま」(奥志摩フェリー)就航[12]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)7月 - 本社を鳥羽港湾センター[注 3]に移転[11]。
再編期
編集和歌山県の事業を分離し、事業の再編に着手するようになる。親会社の近畿日本鉄道の伊勢志摩での事業再編計画もあり、2度の会社清算と新会社への移行が行われ、現在に至る。近鉄志摩観光汽船は最高で年商約12億円を記録したものの、1998年(平成10年)度には半分まで落ち込んだうえ、約4億円の赤字を計上、約22億円の累積負債を抱えていた[13]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 和歌山県(勝浦地区)での事業を会社から切り離し、近鉄志摩観光汽船株式会社に改称[11]。
- 1975年(昭和50年)3月 - イルカ島にトンネルが開通[11]。
- 1985年(昭和60年)7月1日 - 渡鹿野航路から撤退[5]。
- 1989年(平成元年) - 奥志摩フェリー廃止[12]。
- 1995年(平成7年)4月3日 - 志摩マリンレジャー株式会社設立[14]。この時点では、近鉄志摩観光汽船は存続する。
- 2000年(平成12年)
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)
- 4月1日 - 鳥羽マリンターミナルが供用開始、本社を同ターミナルに移転。
- 9月30日 - 観光船「いせじ」が退役[7]。
- 2012年(平成24年)5月21日 - 金環日食に合わせて、鳥羽湾と英虞湾で観測クルーズを実施[15]。
- 2016年(平成28年)5月21日〜5月28日 - 第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の開催に伴い、賢島 - 和具航路の賢島側発着港を志摩地中海村に変更[16][17]。志摩地中海村から鵜方駅まではシャトルバスが運行される[17]。また賢島 - 浜島航路の御座 - 賢島間を運休[17]。
- 2021年(令和3年)9月30日 - 浜島 - 御座 - 賢島定期航路(浜島航路)を廃止[8]。
- 2023年(令和5年)7月1日 - 近鉄グループの伊勢志摩事業の再編により、近鉄レジャークリエイトの完全子会社となる[1]。
- 2024年(令和6年)
主な保有船舶
編集現行の船舶
編集- 龍宮城[20]
- 1996年10月就航、199総トン、全長34.4m、幅7.5m、機関出力910ps、航海速力11.00ノット、旅客定員360名
- 鳥羽湾めぐり航路で就航。名前の通り龍宮城をイメージしたデザインになっている。
- フラワーマーメイド
- エスペランサ
- みつしま[22]
- 1987年7月就航、19総トン、全長16.00m、幅7.1m、機関出力350ps、航海速力15.00ノット、旅客定員85名
- 鳥羽湾めぐり航路に就航。
- おくしま[23]
- 1992年11月就航、19総トン、全長16.1m、航海速力11.4ノット、旅客定員80名
- あご湾定期船に就航。
- おおさき[23]
- 1997年6月就航、19総トン、全長17.0m、航海速力15.0ノット、旅客定員80名
- あご湾定期船に就航。
- さきしま[23]
- 2012年8月就航、19総トン、全長15.9m、航海速力15.0ノット、旅客定員70名
- あご湾定期船に就航。
過去の船舶
編集- パールクイン(水中翼船)
- パールクイン2号(水中翼船)
- パールクイン3号(水中翼船)
- ひかり(ホーバークラフト SRN6)
- さきしま(カーフェリー)
- あさま
- 五十鈴[26]
- 82.49総トン、旅客定員164名。
- 鳥羽湾めぐり航路に就航。
- パイオニア
- ビクトリア
- かみじ
- しまじ
- マリンパール
- いせじ
脚注
編集注釈
編集- ^ 真珠湾とは、ハワイのパール・ハーバーではなく、三重県志摩市の英虞湾を指す。
- ^ 霞ヶ浦とは、茨城県の霞ヶ浦ではなく、三重県四日市市沖の海域を指す。
- ^ 鳥羽港湾センターは、鳥羽港佐田浜桟橋に隣接して建っていたビルで、志摩マリンレジャーと鳥羽市営定期船の待合室、切符販売窓口、ゲームセンター、商店などが入居していた。2011年(平成23年)4月にすべての機能を鳥羽マリンターミナルに譲り閉鎖。2011年6月時点では建物が残っていたが、2019年現在は佐田浜第3駐車場となっている。
出典
編集- ^ a b c d e f g 近鉄グループホールディングス株式会社・近鉄レジャークリエイト株式会社 (2023年7月3日). “伊勢志摩エリアにおける地域活性化の推進について〜新会社によりレジャー事業を強化し、支援体制としての「伊勢志摩支社」を設置します〜”. 近鉄グループホールディングス. 2024年3月29日閲覧。
- ^ a b 三重県観光部観光戦略課: “観光レクリエーション入込客数推計書 観光客実態調査報告書 全国観光統計基準採用 令和4年”. 三重県 (2023年6月). 2024年3月29日閲覧。
- ^ “観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2024年3月29日閲覧。 “Internet Archiveによる2016年3月6日時点のアーカイブページ。”
- ^ “令和4年度志摩市地域公共交通会議 第1回離島航路幹事会 事項書”. 志摩市 (2022年6月20日). 2024年3月29日閲覧。
- ^ a b 磯部町史編纂委員会 編(1997):1281ページ
- ^ a b “南勢町の紹介”. 五ヶ所湾ふるさとの会. 2024年3月29日閲覧。 “ウェブ魚拓による2013年5月13日時点のアーカイブページ。”
- ^ a b c d e 林一茂"鳥羽湾巡りの大型観光船「いせじ」、来月末引退"毎日新聞2011年8月23日付朝刊、三重版24ページ
- ^ a b 『浜島〜御座〜賢島定期航路(浜島航路)の廃止について』(PDF)(プレスリリース)志摩マリンレジャー、2021年3月26日。オリジナルの2021年3月27日時点におけるアーカイブ 。2021年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編 1980, p. 257.
- ^ 磯部郷土史刊行会 編 1963, p. 330.
- ^ a b c d e f g h i j 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編 1980, p. 258.
- ^ a b 世界の艦船別冊 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで- P.317 (海人社 2009)
- ^ "脱「近鉄依存」を模索 伊勢志摩観光(リポートみえ)"朝日新聞2000年2月2日付朝刊、三重18ページ
- ^ a b c d “子会社の解散および清算に関するお知らせ” (PDF). 近畿日本鉄道 (2008年11月11日). 2017年10月17日閲覧。
- ^ 丸山崇志・片山健生・渡辺大地"金環日食どこで観測? 各地で催し企画 英虞湾などクルーズも"中日新聞2012年5月18日付朝刊、伊勢志摩版
- ^ 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
- ^ a b c 志摩市市長公室 編(2016):7ページ
- ^ “あご湾定期船「おくしま」エンジン停止し座礁 志摩マリンレジャー、乗客らけがなし”. 中日新聞 (2024年2月16日). 2024年3月29日閲覧。
- ^ “あご湾定期船「おおさき」運航不能に 舵が故障、志摩市の間崎島で”. 中日新聞 (2024年2月28日). 2024年3月29日閲覧。
- ^ “就航船舶のご案内”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b 日本船舶明細書 1997 (日本海運集会所 1996)
- ^ “就航船舶のご案内”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b c “あご湾定期船”. 志摩マリンレジャー. 2022年10月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 日本船舶明細書 1990 (日本海運集会所 1990)
- ^ 日本船舶明細書 1988 (日本海運集会所 1988)
- ^ a b c d e f g 全国フェリー・旅客船ガイド 1987年上期号 (日刊海事通信社 1986)
参考文献
編集- 磯部郷土史刊行会 編 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、1963年5月10日、506頁。 NCID BN08788272。
- 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』磯部町、平成9年9月1日、1340p.
- 志摩市市長公室 編『広報しま 2016年5月号 Vol.195』2016年5月、志摩市市長公室、32p.
- 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編『鳥羽の観光50年』鳥羽市観光協会、1980年9月15日、289頁。 NCID BN06702913。