忍町 (姫路市)

兵庫県姫路市の地名
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忍町(しのぶまち[5])は兵庫県姫路市町名郵便番号670-0917[3]

忍町
忍町通り
忍町通り
忍町の位置(兵庫県内)
忍町
忍町
忍町の位置
北緯34度49分47.8秒 東経134度41分11.1秒 / 北緯34.829944度 東経134.686417度 / 34.829944; 134.686417
日本の旗 日本
都道府県 兵庫県
市町村 姫路市
面積
 • 合計 0.048 km2
人口
2023年令和5年)9月30日現在)[2]
 • 合計 492人
 • 密度 10,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
670-0917[3]
市外局番 079[4]
ナンバープレート 姫路

地理

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忍町は姫路市内の十二所前線の南側、山陽姫路駅の西側、船場川の東側に位置する。ただし十二所神社(敷地の南部を除く)およびお菊神社は北に接する十二所前町に属する。東に南町および西駅前町、南に久保町、船場川を挟んで西に福沢町と接する。江戸時代は内町南方の飾万津口に含まれた。

歴史

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慶安元年(1648年)ごろ、姫路城外曲輪外の飾磨津門西側にあった薬師寺を飾西郡栗山(現在の姫路市手柄付近)に移転させ、その跡地に侍屋敷を置き[6]忍びの者を配したのが町名の由来とされる[7]。江戸時代の絵図には他に「志のふ町」という表記もある。この場所は外堀に隣接しており外部を巡回するのに適した位置に設けられている。他に本多氏時代(再封時)の城下町絵図には城の東側で外京口門の先にある橋本町付近に「忍」と記された二つの小区画が記されている[8]。またここは姫路城の裏鬼門に相当し、対になる鬼門に相当する竹の門付近に伊賀屋敷を設けたとされる。

江戸時代は飾万街道沿いの「飾万津町」20町に含まれ、姫路藩町奉行所の管轄下で飾万津町会所(現在の飾磨区東堀に所在)の支配下に置かれた。 寛延2年(1749年)の大洪水で被災した[9]のち、宝暦5年(1755年)には長屋20戸の家中(藩士)の屋敷があったと記録されている[10][11]が、酒井氏時代の絵図では町人地と区分されている[12]

姫路藩に忍者がいたこと自体は、池田輝政時代の分限帳に「伊賀者」の存在が、また本多氏時代(初封・再封時共)の分限帳に「忍術同心」の存在が記されている[13]。『姫路城史』において松平明矩の時代に「忍󠄄の者」が用いられた記録[14]や、酒井忠恭が加藤市右衛門という者から忍術を習ったりその養子・加藤傳蔵が忍術をよくするとして召し抱えたといった記述[15]が残っている)

大区小区制については飾磨県にあっては第八大区第六小区に、兵庫県にあっては播磨国第八大区第一小区に属した[16]1875年(明治8年)、忍町ほか6か町村が合併して豊澤村となり、1889年(明治22年)には合併で国衙村となる。1912年(明治45年)4月に国衙村より分離して姫路市に合併した際に忍町の町名が復活する。1913年(大正2年)9月から1914年(大正3年)2月にかけて、十二所神社南側から飾磨津門にかけての外堀を埋め立てて忍町に編入する。

第二次世界大戦末期の1945年7月3日深夜の姫路空襲により全域が被災。戦後は戦災復興都市計画による大幅な区画整理が行われ[17]、南隣の久保町が卸市場街として発展するのに合わせて忍町にも卸市場が拡大し発展したが、1957年(昭和32年)に東延末に市営の中央卸売市場が開設されたことで忍町の市場街としての機能が低下した。以後も小売店が並ぶ個人向けの市場として、下町的な雰囲気を持つ。

1984年(昭和59年)9月21日には区画整理完了による換地処分が行われ[18]、一部が西駅前町・久保町・十二所前町の一部となり、同時に豆腐町・久保町・千代田町・十二所前町・南町および大蔵前町のそれぞれ一部が忍町に編入されている。

令和時代にあっては、地域おこしに際して町名にちなんで三重より伊賀忍者のサークルを招聘するなどの活動も行われている[19]

(節全体の出典:[20][21][22][23][24]

世帯数と人口

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2023年(令和5年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
忍町 351世帯 492人

それ以前の世帯数と人口は以下の通りである。

調査年 世帯数 人口 備考 出典
1921年(大正10年) 128世帯 443人 町域変更前 [25]
1927年(昭和2年) 141世帯 522人 [20]
1949年(昭和24年) 73世帯 323人 [26]
1951年(昭和26年) 108世帯 455人 [27]
1961年(昭和36年) 160世帯 706人 [20]
1978年(昭和53年) 135世帯 466人 [28]
1984年(昭和59年) 197世帯 535人 町域変更後 [28]
1989年(平成元年) 228世帯 521人 [28]
1997年(平成9年) 248世帯 485人 [29]
2007年(平成19年) 226世帯 367人 [30]

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[31]

番地 義務教育学校/小学校・中学校 備考
忍町(以下を除く全域) 姫路市立白鷺小中学校
忍町176~182、186~221 姫路市立船場小学校 姫路市立琴陵中学校 校区外就学手続きにより
白鷺小中への変更可[32]

交通

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道路

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施設

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かつての施設

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  • 靄楽園(あいらくえん) - 十二所神社南側にあった姫路藩家老・本多氏の下屋敷を改装した料亭旅館。まねき食品初代の妻の実家が経営し(後にまねきの前身・ひさごが経営[33])、播州一円の政財界の社交場となり姫路の名所といわれるほどの料理旅館であった[34]が、姫路空襲により焼失[33]
  • 大劇会館 - 映画館等のレジャービル。2015年閉鎖。
  • 姫路市立高等女学校(現・姫路市立琴丘高等学校、旧大蔵町域)[35]
  • 姫路電球株式会社(現・ウシオ電機、旧大蔵町域)[36]

関連項目

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脚注

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  1. ^ 兵庫県姫路市忍町 (282010010)”. 国勢調査町丁・字等別境界データセット. 2023年10月7日閲覧。
  2. ^ a b 町別人口・年齢別人口-令和5年(2023年)9月末-”. 姫路市 (2023年9月30日). 2023年10月7日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2023年10月7日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2023年10月7日閲覧。
  5. ^ 播磨地名研究会(2007)p.118、および姫路市町別人口一覧の読み仮名による。橋本(1956)p.19では「シノビマチ」。
  6. ^ 橋本 1974, p. 235-236.
  7. ^ 橋本 1956, p. 19.
  8. ^ 上田 2022, p. 10.
  9. ^ 『姫路市史』第4巻 本編 近世2、2009年、付図「姫路城下浸水被害図 酒井時代」。
  10. ^ 橋本 1974, p. 572.
  11. ^ 姫路郷土資料研究会 1941, p. 12-17.
  12. ^ 『姫路市史』第11巻上 史料編 近世2、1996年、付図「姫路城下町絵図 酒井時代中期」。
  13. ^ 上田 2022, p. 6,7,8.
  14. ^ 橋本 1974, p. 408,414,415.
  15. ^ 橋本 1974, p. 613.
  16. ^ 兵庫県総務部地方課(編) 1962, p. 694-697.
  17. ^ 姫路市建設局区画整理課 1960, p. 11-12,28-29.
  18. ^ 土地区画整理事業施行済みの地区一覧”. 姫路市. 2024年2月29日閲覧。
  19. ^ ろうそくの光を町いっぱいに 4日夜、山陽姫路駅西側でイベント”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞 (2021年12月3日). 2023年10月8日閲覧。
  20. ^ a b c 角川地名兵庫 1988, p. 728.
  21. ^ 白鷺中学校区地域夢プラン実行委員会 2006, p. 123, 134-135.
  22. ^ 横山 1989, p. 110-111.
  23. ^ 忍者が江戸期の姫路で暗躍?! 家臣の情報まとめた史料に「伊賀者」、他人の家に堂々侵入できる「鷹匠」も”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞 (2023年3月29日). 2023年10月8日閲覧。
  24. ^ 播磨地名研究会 2007, p. 118.
  25. ^ 姫路市 1921, p. 10.
  26. ^ 姫路市調査課 1949, p. 72.
  27. ^ 姫路市調査課 1951, p. 10.
  28. ^ a b c 刊行物アーカイブ”. 姫路市. 2024年2月14日閲覧。
  29. ^ 町別人口・年齢別人口-平成9年(1997年)3月末-”. 姫路市. 2023年10月8日閲覧。
  30. ^ 町別人口・年齢別人口-平成19年(2007年)9月末-”. 姫路市. 2024年2月14日閲覧。
  31. ^ 市立小学校・中学校・義務教育学校への入学・転校などのご案内”. 姫路市. 2023年10月7日閲覧。
  32. ^ 船場川の旧流路西側に相当。就学先変更可能な理由は「復興整備事業により統一された」ためとされている。
  33. ^ a b 横山 1989, p. 112.
  34. ^ 駅から始まる姫路のソウルフード。開拓者精神 受け継ぐ「まねき食品」”. Think LOCAL (2022年9月9日). 2023年10月8日閲覧。
  35. ^ 琴丘高校の歴史”. 琴丘しらさぎ会(姫路市立琴丘高校同窓会). 2023年10月8日閲覧。
  36. ^ 姫路興信所 1924, p. 141.

参考文献

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  • 姫路飾磨神崎紳士大鑑』姫路興信所、1924年https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000539889-00 
  • 角川日本地名大辞典 28 (兵庫県)』角川書店、1988年、728頁。ISBN 4040012801