徳島高等学校

徳島県の高等学校 (廃止)

徳島高等学校(とくしまこうとうがっこう、英称:Tokushima High School)とは、徳島県徳島市庄町に存在していた私立高等学校である。

徳島高等学校
過去の名称 徳島外事専門学校
徳島外国語高等学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人徳島外語学園
併合学校 生光学園高等学校
校訓 希望は高く 夢清らかに[1]
設立年月日 1947年
閉校年月日 1979年
共学・別学 男女共学
設置学科 普通科
商業科
所在地 770-0044
徳島県徳島市庄町1丁目63番地63
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沿革

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(沿革の出典は理事長の子孫が保存していた書類に基づく[1]

  • 1947年(昭和22年)3月 - 徳島外事専門学校設立(代表者原菊太郎、校長川竹武夫)
  • 1947年(昭和22年)6月 - 徳島市昭和小学校を仮教室として開校(入学生:男女208名)
  • 1947年(昭和22年)12月 - 徳島市矢三町の本校舎に移転
  • 1948年(昭和23年)10月 - 財団法人徳島外事学会設立(理事長原菊太郎)徳島外国語高等学校に改組。普通科全日制、定時制及び外国語科定時制課程を置[2][3][4]
  • 1950年(昭和25年)1月 - 徳島市庄町1丁目に校舎移転
  • 1950年(昭和25年)3月 - 私立学校法の施行に伴い、財団法人徳島外事学会を学校法人徳島外語学園(理事長川竹武夫)に改組
  • 1959年(昭和34年)4月 - 校名を徳島高等学校と改称
  • 1960年(昭和35年)3月 - 校舎1棟、教室4を増築
  • 1966年(昭和41年)10月 - 鉄筋コンクリート3階建校舎1棟を増改築並びに運動場新設
  • 1966年(昭和41年)11月 - 学園創立20周年記念式並びに校舎増改築第1期工事落成式を挙行
  • 1975年(昭和50年)8月 - 運動場バレーコート、バスケットコート建設
  • 1978年(昭和53年)1月 - 学校法人生光学園により併合され、経営権・校地・校舎は生光学園の手中に収められる[5]
  • 1978年(昭和53年)3月 - 徳島高等学校閉校[6]
  • 1979年(昭和54年)4月 - 生光高等学校開校[6]

概要

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  • 日本キリスト教団徳島兄弟教会が中心となり、昭和22年3月に3年制の旧制専門学校「徳島外事専門学校」として設立された。[7]
  • 英語を中心にドイツ語・フランス語・中国語が教えられていた。[7]
  • 閉校の理由は、理事長であった川竹武夫の高齢と健康状態の悪化に伴い、学校の経営を断念したことにある[8]。生光学園理事長美馬昇に経営等を含めた全てを任せ、閉校に至った。[9]
  • 生光学園に併合された段階で16名の生徒が在校していたが、学期末に3年生12名が卒業し、2年生4名も転校したため一旦閉校した後、徳島高等学校を生光高等学校と改称して開校している。[6][10]
  • 校舎は親族により改修され、カルチャーセンターやオフィス、ブライダルスタジオとして使用されている。[11][12]

脚注

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  1. ^ a b https://www.instagram.com/p/Cl90KZMSZXh/
  2. ^ 全国学校総鑑−国立国会図書館デジタルコレクション−より。
  3. ^ 全国学校名鑑昭和25年版−国立国会図書館デジタルコレクション−より。
  4. ^ 高校進学者のために 昭和27年度版 (高校入学準備叢書)より。
  5. ^ 徳島市教育委員会 『徳島市史第4巻 教育編・文化編』1993年 p.483
  6. ^ a b c 徳島市教育委員会 『徳島市史第4巻 教育編・文化編』1993年 p.484
  7. ^ a b 徳島市教育委員会 『徳島市史第4巻 教育編・文化編』1993年 p.561
  8. ^ メディコム『徳島人』第40号 2014年 p.82-83
  9. ^ 加茂名史編集委員会『加茂名を語る-加茂名小史第1集-』1980 p.85
  10. ^ 但し、生光学園の沿革に徳島高等学校時代の沿革は記載されていない。
  11. ^ 徳島・庄町にカルチャースクール「エミール」-旧徳島高校舎をリノベーション”. 徳島経済新聞. 2022年12月10日閲覧。
  12. ^ エミールとは”. エミール. 2022年12月10日閲覧。

関連項目

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