徳久 恒範(とくひさ つねのり、1844年2月16日天保14年12月28日)- 1910年明治43年)12月30日)は、幕末佐賀藩士明治期の官僚政治家県知事貴族院議員

徳久恒範

経歴

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佐賀藩士・徳久恒忠の長男として生まれる。明治4年(1871年)、佐賀藩少参事に就任。その後、明治政府に出仕し、兵部七等出仕に就任し、さらに陸軍少佐となる。1879年熊本県一等警部に就任。以後、同警部長石川県栃木県兵庫県の各書記官などを歴任。

1892年8月、富山県知事に就任。産業振興、実業学校の設置などを推進した。1896年4月、香川県知事に転じ、工芸学校の設置、稲作の改良などを推進。1898年7月、熊本県知事となる。1903年6月、広島県知事に就任し、1904年1月まで在任し休職となった。

1904年8月22日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任した。1905年11月1日、錦鶏間祗候となる[2]

その他、韓国拓殖株式会社監査役、朝日肥料株式会社取締役、臨時博覧会事務委員などを務めた。

栄典

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位階
勲章等

親族

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脚注

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  1. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日。
  2. ^ 『官報』第6705号、明治38年11月2日。
  3. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
  4. ^ 『官報』第5833号「叙任及辞令」1902年12月11日。
  5. ^ 『官報』第6548号「叙任及辞令」1905年5月2日。
  6. ^ 『官報』第3451号「叙任及辞令」1894年12月27日。
  7. ^ 『官報』第4651号「叙任及辞令」1899年1月4日。

参考文献

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