御室今嗣
御室 今嗣(みむろ の いまつぐ)は、平安時代初期の貴族。姓は朝臣。官位は従四位下・図書守。
時代 | 平安時代初期 |
---|---|
生誕 | 天平勝宝6年(754年) |
死没 | 弘仁10年6月21日(819年7月16日) |
官位 | 従四位下・図書守 |
主君 | 平城天皇→嵯峨天皇 |
氏族 | 御室朝臣 |
兄弟 | 氏嗣?、是嗣? |
経歴
編集従五位下・式部少輔の官位にあった大同3年(808年)に出雲介を兼ねる。大同4年(809年)には二階の昇進により正五位下に叙せられる。この頃、兄弟と思しき氏嗣(従五位上[1])・是嗣(従五位下[2])も順調に昇進しており、嵯峨朝初頭は兄弟揃って優遇されていた様子が窺われる。
大同5年(810年)に発生した薬子の変では、氏嗣・是嗣がいずれも連座して九州地方の権官に左遷されるが、今嗣は大学頭として京官に留まった。弘仁3年(812年)図書守に転任し、時期は不明ながら従四位下に至る。
弘仁10年(819年)6月21日卒去。享年66。最終官位は図書頭従四位下。
官歴
編集『日本後紀』による。