後藤國利
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日[1] - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。
後藤國利 ごとう くにとし | |
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生年月日 | 1940年1月6日(84歳) |
出生地 | 日本 大分県臼杵市 |
出身校 | 一橋大学社会学部 |
前職 | うすき製薬代表取締役社長 |
現職 |
百年の森健全育成実践クラブ代表 上北森林再生代表 |
所属政党 | 自由民主党 |
子女 | 子・後藤玄利 |
(新)臼杵市長 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2005年 - 2009年1月19日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1997年1月26日 - 2004年12月31日 |
第55代 大分県議会議長 | |
在任期間 | 1990年3月29日 - 1991年5月17日 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 | 1975年 - 1995年 |
略歴
編集大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた[2]。
セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた[3]。1995年に引退するが、1997年に臼杵市長に初当選。市長を2期8年を務めた後、2005年の野津町との合併後に行われた新臼杵市でも初代市長となり、旧臼杵市時代から通算すると3期12年にわたり臼杵市長を務めた[4]。臼杵市長在職中は、会社経営の経験を活かして行財政改革に積極的に取り組み、バランスシートの導入等を行い、財政再建を実現した[2]。
大学在学中から太郎林の経営に携わり、市長を引退してからは、百年の森健全育成実践クラブ代表、上北森林再生株式会社代表など、より本格的に林業家としても活動している。2010年豊の国木造建築賞優秀賞入賞。日本林業同友会理事、大分県南部農業共済組合組合長理事、大分県テニス協会顧問等も務めた[5]。
ケンコーコム(後のRakuten Direct)創業者の後藤玄利は息子。
著書
編集- 林業改良普及双書No.169 「森林・林業再生プラン」で林業はこう変わる!(共著、全国林業改良普及協会、2012年1月25日)
- 林業改良普及双書No.170 林業Q&A その疑問にズバリ答えます(共著、全国林業改良普及協会、2012年1月25日)
脚注
編集- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、423頁。
- ^ a b バランスシートは自治体経営に絶対必要 大分県臼杵市長 後藤 国利氏 ITpro、2008年3月18日
- ^ “歴代議長・副議長一覧”. 大分県ホームページ. 2021年4月29日閲覧。
- ^ 臼杵・後藤市長が引退へ 大分合同新聞、2008年9月6日
- ^ 「林業家後藤国利氏――強い森づくり、異端児挑む(肖像九州沖縄)2017/12/02 日本経済新聞」
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