当り矢金八捕物帖 千里の虎
『當り矢金八捕物帖 千里の虎』(あたりやきんぱちとりものちょう せんりのとら)は、1950年(昭和25年)製作・公開、中川信夫監督による日本の長篇劇映画である[1]。高村正次の製作会社新光映画が製作、現在の東映の前身の配給会社東京映画配給が配給した[1][2]。
當り矢金八捕物帖 千里の虎 | |
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監督 | 中川信夫 |
脚本 |
佐伯清 萩原章 |
製作 |
高村正次 企画 金城正成 |
出演者 |
嵐寛寿郎 宮城千賀子 |
音楽 | 高橋半 |
主題歌 |
作詞 紅殘月 演奏 大阪放送交響楽団 |
撮影 |
河崎喜久三 照明 上林松太郎 |
編集 | 上杉和雄 |
製作会社 | 新光映画 |
配給 | 東京映画配給 |
公開 | 1950年6月3日 |
上映時間 |
87分 79分 (現存) |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
略歴・概要
編集マキノ雅弘の姉牧野冨榮の夫・高村正次の製作会社「新光映画」は、マキノ芸能社の活動を停止したマキノ真三、その妻で女優の宮城千賀子夫妻が関わって、1949年(昭和24年)、並木鏡太郎の映画復帰第1作『右門捕物帖 謎の八十八夜』(配給東宝)を製作した会社である[3][4]。本作は、同作に引き続き、嵐寛寿郎・宮城千賀子の主演コンビで製作されたものである[1][2]。
製作当時、監督の中川は新東宝に所属しており、撮影の河崎喜久三も同様であった。キネマ旬報映画データベースには「東横映画」が製作会社として記録されており[5]、これは誤りではあるが、セット撮影は東横映画のスタジオ(現在の東映京都撮影所)が使用された。
2005年(平成17年)、東京国立近代美術館フィルムセンターは、同作を発掘・所蔵していたプラネット映画資料図書館から35mmフィルムのプリントを購入し、これを収蔵した[2][6]。同センターは、同時期に、同図書館からは、本作と同じ東京映画配給が配給した『海魔陸を行く』(監督伊賀山正徳、製作ラジオ映画、1950年)も購入している[6]。
スタッフ・作品データ
編集キャスト
編集脚注
編集- ^ a b c 当り矢金八捕物帖 千里の虎、日本映画データベース、2012年4月18日閲覧。
- ^ a b c 當り矢金八捕物帖 千里の虎、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年4月18日閲覧。
- ^ 『映画渡世 地の巻』、p.264.
- ^ 右門捕物帖 謎の八十八夜、日本映画データベース、2012年4月18日閲覧。
- ^ 千里の虎、キネマ旬報映画データベース、2012年4月18日閲覧。
- ^ a b 平成17年度 独立行政法人国立美術館 事業実績統計表、国立美術館、2012年4月18日閲覧。
参考文献
編集- 『映画渡世 地の巻 - マキノ雅弘自伝』、マキノ雅裕、平凡社、1977年 / 新装版、2002年 ISBN 4582282024
- 『クロニクル東映 1947-1991』、東映、1992年
関連項目
編集外部リンク
編集- 當り矢金八捕物帖 千里の虎 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 當り矢金八捕物帖 千里の虎 - 映連データベース (日本映画製作者連盟)
- 当り矢金八捕物帖 千里の虎 - 日本映画データベース
- 千里の虎 - キネマ旬報映画データベース
- 当り矢金八捕物帖 千里の虎 - 中川信夫公式ウェブサイト (nipponeiga.com/nakagawa)
- 當り矢金八捕物帖 千里の虎 - KINENOTE