廿日出 逸暁(はつかで いつあき、1901年2月18日 - 1991年5月29日[1])とは、日本の図書館員図書館学者である。

経歴

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1901年、広島県豊田郡大長村(現・呉市)に生まれる[1]。旧制崇徳中学校卒業。ライプチヒ大学附属図書館学校等を卒業後、御成婚記念千葉県図書館(現千葉県立中央図書館)の館長として経営に邁進する。戦後は移動図書館を日本に広めたことでも知られ、図書館法の成立にも尽力している。のちに国会図書館連絡部長や千葉経済短期大学教授等を歴任した[2]。1971年、勲三等瑞宝章を受章[1]。1991年死去。

著書・編著等

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  • 廿日出逸暁『図書館活動の拡張とその背景』(図書館生活50年記念刊行会、1981年)

論文等

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  • vorgelegt von,Itsuaki Hatsukade.,"Die Bildungsideale in der japanischen Kultur und ihr Einfluß auf das Erziehungswesen in der Yedo-Zeit".,Konrad Triltsch,1932(学位論文)

脚注

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  1. ^ a b c 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.471
  2. ^ 廿日出逸暁『図書館活動の拡張とその背景』(図書館生活50年記念刊行会、1981年)、廿日出逸暁略年譜p.p.384-385