建部政明
建部 政明(たけべ まさあき)は、江戸時代前期の大名。播磨国林田藩の第2代藩主[1]。官位は従五位下・丹波守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永15年(1638年)[1] |
死没 | 寛文9年12月23日[1](1670年2月13日) |
改名 | 織部、光政、政明 |
墓所 | 和歌山県伊都郡高野町金剛峯寺の東南院 |
官位 | 従五位下・丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 播磨林田藩主 |
氏族 | 建部氏 |
父母 | 父:建部政長、母:酒井忠勝の長女 |
兄弟 | 政勝、政明、政忠、政宇、藤掛永俊正室、小堀正之正室、松平康紀正室、高木正次室、川合宗賀室、大嶋義近正室、人見宜郷室ら |
妻 | 牧野親成の娘 |
子 |
牧野富成養女 養子:政宇 |
略歴
編集初代藩主・建部政長の三男[1]として誕生した。幼名は織部。初名は光政。
寛文7年(1667年)8月28日、父の隠居により跡を継ぐ。同年12月28日に叙任する。寛文9年(1669年)12月23日に32歳で死去し、跡を弟で養嗣子の政宇が継いだ。墓所は和歌山県伊都郡高野町金剛峯寺の東南院。