天保5年(1834年)自らが船頭を務める船で天草を出航し長崎へ向かうが、途中で嵐に遭って船員3名とともにルソン島へ漂流する。
その後、現地で保護を受けて、天保8年(1837年)スペイン船でマカオに移り、同じくアメリカに漂流していた音吉ら3名と合流する。同年、帰国するためにアメリカ商船のモリソン号で浦賀へ向かうが、異国船打払令によって撤退。続いて薩摩山川港では寿三郎と上陸を果たすが、結局帰国は叶わなかった。
その後はマカオで余生を送り、開国後の日本からマカオに来る日本人と交流したという。
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