庄蔵
庄蔵(しょうぞう、文化7年(1810年) - 没年不詳)は、江戸時代の水主・漂流民。肥後国飽託郡川尻(現・熊本県熊本市南区)の出身。
生涯
編集天保5年(1834年)、自らが船頭を務める船で天草を出航し長崎へ向かうが、途中で嵐に遭って船員3名とともにルソン島へ漂着した。
その後、現地で保護を受けて、天保8年(1837年)スペイン船でマカオに移り、同じくアメリカに漂流していた音吉ら3名と合流する。同年、帰国するためにアメリカ商船のモリソン号で浦賀へ向かうが、異国船打払令によって撤退。続いて薩摩山川港では寿三郎と上陸を果たすが、結局帰国は叶わなかった。
その後はマカオで余生を送り、開国した後も日本に帰国することはなかったが、日本からマカオに来る日本人と交流したという。