庄内村 (鳥取県)

日本の鳥取県西伯郡にあった村

庄内村(しょうないそん[1][2])は、鳥取県西伯郡にあった。現在の西伯郡大山町の一部にあたる。

しょうないそん
庄内村
廃止日 1954年4月1日
廃止理由 新設合併
御来屋町庄内村名和村光徳村名和町
現在の自治体 大山町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
西伯郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,270
国勢調査、1950年)
隣接自治体 御来屋町、名和村、大山村所子村
庄内村役場
所在地 鳥取県西伯郡庄内村大字富長
座標 北緯35度28分30秒 東経133度28分45秒 / 北緯35.47492度 東経133.47903度 / 35.47492; 133.47903 (庄内村)座標: 北緯35度28分30秒 東経133度28分45秒 / 北緯35.47492度 東経133.47903度 / 35.47492; 133.47903 (庄内村)
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地理

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歴史

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  • 1889年(明治22年)10月1日、町村制の施行により、汗入郡富長村、大塚村、古御堂村、押平村、茶畑村、高田村が合併して村制施行し、庄内村が発足[1][2]。旧村名を継承した富長、大塚、古御堂、押平、茶畑、高田の6大字を編成[2]
  • 1896年(明治29年)4月1日、郡の統合により西伯郡に所属[2]
  • 1954年(昭和29年)4月1日、西伯郡御来屋町、名和村、光徳村と合併し名和町を新設して廃止された[1][2]。合併後、名和町大字富長・大塚・古御堂・押平・茶畑・高田となる[2]

地名の由来

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この地方を古くから庄内と称したことによる[2]

産業

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  • 農業[2]
  • 産物:米、麦、繭、瓦、履物[2]

教育

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  • 1892年(明治25年)庄内小学校開校[5]。1897年(明治30年)大字古御堂に統合新校舎完成[5]

陸軍施設

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脚注

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  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』393頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』413頁。
  3. ^ a b c 「富長〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』538-539頁。
  4. ^ 「高田〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』461頁。
  5. ^ a b c d 「古御堂〈名和町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』350頁。

参考文献

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関連項目

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