広州城足球倶楽部
広州城足球倶楽部(中国語: 广州城足球俱乐部)は、中華人民共和国の広東省広州市をホームタウンとしていたプロサッカークラブ。中国プロサッカーリーグ(中国超級)に加盟していた。
広州城足球倶楽部 | |||
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原語表記 | 广州城足球俱乐部 | ||
愛称 | 阿根力、Blue Lions | ||
クラブカラー | 青 | ||
創設年 | 1986年 | ||
解散年 | 2023年 | ||
ホームタウン | 広東省・広州市 | ||
ホームスタジアム | 越秀山体育場 | ||
収容人数 | 18,000 | ||
運営法人 | 富力地産 | ||
代表者 | 張力 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
広州城足球倶楽部 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 廣州城足球俱樂部 |
簡体字: | 广州城足球俱乐部 |
拼音: | Guǎngzhōu chéng Zúqiú Jùlèbù |
発音: | グゥァンヂョウ チォン ズーチィゥ ジュラブー |
英文: | Guangzhou City Football Club |
概要
編集1986年創立。ホームタウンは広東省広州市である。ホームスタジアムは広東省広州市の越秀山体育場(収容人員は18,000人)。中国超級リーグにおいてのリーグタイトルはない。
運営会社には広州に拠点を置く不動産会社である広州富力地産(广州富力地产)。
歴史
編集- 1986年
瀋陽足球倶楽部(沈阳足球俱乐部)として発足。
- 1994年
瀋陽東北六薬足球倶楽部(沈阳东北六药足球俱乐部)に改名。
- 1995年
瀋陽華陽足球倶楽部(沈阳华阳足球俱乐部)に改名。
- 1996年
瀋陽海獅足球倶楽部(沈阳海狮足球俱乐部)に改名。
- 2001年
瀋陽金徳足球倶楽部(沈阳金德足球俱乐部)に改名。ホームスタジアムの瀋陽五里河体育場も、正式には「瀋陽五里河金徳体育場」と命名される。
- 2004年
超級リーグ開始当初より参加。
- 2007年
湖南省長沙に移転。長沙金徳足球倶楽部に改名。
- 2010年
2010年度リーグで最下位となり、甲級リーグへ降格。
- 2011年
2月にアメリカのスポーツ製品会社がスポンサーとなり深圳鳳凰足球倶楽部(深圳凤凰足球俱乐部)に改名し深圳に移転したが、6月に広州の不動産会社がスポンサーとなり、広州富力足球倶楽部(广州富力足球俱乐部)と再び改名し広州に移転することになった。中国甲級リーグで2位となり超級リーグに昇格。
- 2014年
17勝6分7敗67得点39失点の勝点57で3位。AFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフの出場権を獲得した。
- 2015年
コスミン・コントラが監督に就任。
呉坪楓が引退。ダヴィが上海上港、許博が石家荘、朱宝傑が貴州人和へ移籍した。
北京国安から于洋、梅県客家から叶楚貴、杭州緑城から汪嵩、ヘタフェCFからミチェル、上海申鑫から劉殿座、大連阿爾濱から金洋洋を獲得。
AFCチャンピオンズリーグの本戦をかけて予選2回戦から広州富力は出場した。2月10日、AFCチャンピオンズリーグ2015の予選2回戦ホームでシンガポールのウォリアーズFCと戦い3-0で勝利した。2月17日にはAFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフラウンドで本戦出場をかけてアウェイでオーストラリアのセントラルコースト・マリナーズFCと戦い3-1で勝利し、初の本戦出場を果たした。
AFCチャンピオンズリーグ2015でACL初出場すると予選でG大阪、城南、ブリーラムのグループFに入った。7月15日川崎フロンターレのブラジル人FWレナトを獲得することで合意したことをクラブ公式HP上で発表した。
7月22日成績不振によりコスミン・コントラを解任、アシスタントコーチのリュー・ビンを暫定監督に充てる。8月24日にクラブより後任監督として元名古屋グランパスエイト監督、セルビア人のドラガン・ストイコビッチが就任する旨発表。契約期間は2017年シーズン終了まで。リュー・ビンはそのままアシスタントコーチとしてクラブに残留。またストイコビッチの要望で名古屋グランパスエイト所属、喜熨斗勝史コーチを8月25日付けでコーチとして招聘した。
- 2016年
ドラガン・ストイコビッチ体制で低迷していた広州富力を6位まで浮上させたが、50失点のため好成績とは言えずにシーズンは終了した。
- 2017年
2017年は守備に力を入れ、15勝7分8敗の成績であり、失点46得点56で安定した成績を残した。2年で低迷していたクラブを上位まで上げたため来シーズンも期待されていた。
- 2021年
2021年シーズンからクラブ名を「広州城足球倶楽部」(Guangzhou City Football Club)へ改名した。
- 2023年
経営難により中国超級リーグから除外され、3月29日に活動停止が発表された[1]。
ダービーマッチ
編集タイトル
編集表彰
編集- 最優秀選手賞
- 2017 - エラン・ザハヴィ
過去の成績
編集シーズン | リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 順位 | FAカップ |
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1998 | 超級リーグ | 26 | 7 | 10 | 9 | 19 | 28 | −9 | 31 | 10位 | 2回戦敗退 |
1999 | 超級リーグ | 26 | 5 | 13 | 8 | 28 | 32 | −4 | 28 | 11位 | 1回戦敗退 |
2000 | 超級リーグ | 26 | 8 | 10 | 8 | 35 | 32 | +3 | 34 | 7位 | 準々決勝敗退 |
2001 | 超級リーグ | 26 | 2 | 1 | 23 | 23 | 69 | −46 | 7 | 14位 | 2回戦敗退 |
2002 | 超級リーグ | 28 | 8 | 10 | 10 | 34 | 34 | 0 | 34 | 11位 | 1回戦敗退 |
2003 | 超級リーグ | 28 | 11 | 10 | 7 | 35 | 31 | +4 | 43 | 5位 | 準決勝敗退 |
2004 | 超級リーグ | 22 | 7 | 5 | 10 | 23 | 29 | −6 | 26 | 8位 | 4回戦敗退 |
2005 | 超級リーグ | 26 | 4 | 7 | 15 | 19 | 43 | −24 | 18 | 13位 | 1回戦敗退 |
2006 | 超級リーグ | 28 | 6 | 8 | 14 | 22 | 43 | −21 | 26 | 13位 | 2回戦敗退 |
2007 | 超級リーグ | 28 | 8 | 10 | 10 | 17 | 24 | −7 | 34 | 10位 | - |
2008 | 超級リーグ | 30 | 7 | 13 | 10 | 28 | 36 | −8 | 34 | 11位 | - |
2009 | 超級リーグ | 30 | 6 | 15 | 9 | 23 | 31 | −8 | 33 | 14位 | - |
2010 | 超級リーグ | 30 | 6 | 12 | 12 | 24 | 42 | −18 | 30 | 16位 | - |
2011 | 甲級リーグ | 26 | 13 | 8 | 5 | 36 | 27 | +9 | 47 | 2位 | 2回戦敗退 |
2012 | 超級リーグ | 30 | 13 | 3 | 14 | 47 | 49 | −2 | 42 | 7位 | 4回戦敗退 |
2013 | 超級リーグ | 30 | 11 | 7 | 12 | 45 | 47 | −2 | 40 | 6位 | 4回戦敗退 |
2014 | 超級リーグ | 30 | 17 | 6 | 7 | 67 | 39 | +28 | 57 | 3位 | 4回戦敗退 |
2015 | 超級リーグ | 30 | 8 | 7 | 15 | 35 | 41 | −6 | 31 | 14位 | 4回戦敗退 |
2016 | 超級リーグ | 30 | 11 | 7 | 12 | 47 | 50 | −3 | 40 | 6位 | 準決勝敗退 |
2017 | 超級リーグ | 30 | 15 | 7 | 8 | 59 | 46 | +13 | 52 | 5位 | 準々決勝敗退 |
2018 | 超級リーグ | 30 | 10 | 6 | 14 | 49 | 61 | -12 | 36 | 10位 | 準決勝敗退 |
2019 | 超級リーグ | 30 | 9 | 5 | 16 | 54 | 72 | −18 | 32 | 12位 | 4回戦敗退 |
2020 | 超級リーグ | 20 | 11位 |
- 2020シーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響により、8チームずつ2つのグループに分かれて予選を行い、各グループ上位4チーム計8チームが優勝を争う決勝トーナメントに、下位4チーム計8チームが降格を争う残留プレーオフに進む形で開催された。
所属メンバー
編集- 2019年3月2日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※星印は外国人選手を示す。
歴代監督
編集- セルヒ・モロゾフ 1994
- アデマール・ブラガ 1999
- ヴァレリー・ニポムニシ 2000
- ヘンリク・カスペルチャク 2000-2001
- アラン・ローリエ 2001
- トニ 2002-2003
- ドラゴスラフ・ステパノビッチ 2003
- ボブ・ホートン 2005-2006
- マーティン・コープマン 2006
- ミラノ・シバディノビッチ 2007
- 朱波 2008-2009
- ミオドラグ・イェシッチ 2010
- セルジオ・ファリアス 2012-2013
- スヴェン・ゴラン・エリクソン 2013-2014
- コスミン・コントラ 2015
- ドラガン・ストイコビッチ 2015-2020
- ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト 2020
- ジャン=ポール・ファン・ハステル 2021-2022
歴代所属選手
編集- 李春郁 2004-2009
- サンドロ 2008, 2010
- 金殷中 2009
- アリソン 2011
- マーロン・ヘアウッド 2011
- アレクサンダー・ジヴコヴィッチ 2011
- ヤクブ・アイェグベニ 2012-2013
- エディ・ボスナー 2013
脚注
編集- ^ “广州城足球俱乐部宣布即日起暂停运营 广州市体育局回应” (中国語). 南方網 (2023年3月29日). 2023年3月30日閲覧。
外部リンク
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