広住久道
広住 久道(ひろずみ きゅうどう、1852年12月7日(嘉永5年10月26日[1]) - 1910年(明治43年)2月5日[2])は、明治時代の政治家。自由民権運動家。衆議院議員(5期)。
経歴
編集遠江掛川藩領志太郡阿知ヶ谷村(静岡県志太郡六合村を経て現島田市)に生まれる[1][3]。斎藤拝石に漢学を学び、15歳にして阿知ヶ谷村の名主になる[3]。1871年(明治4年)同村に栄昌舎を創立し、後進の教育に尽くした[3]。国会開設請願運動にも関わり、郷里の有志惣代として奔走した[3]。1882年(明治15年)静岡県会議員に当選し、同年立憲改進党が組織されると静岡県改進党に入党した[3]。
1892年(明治25年)2月の第2回衆議院議員総選挙では静岡県第3区から出馬し当選[2]。つづく第3回、第4回、第5回、第6回総選挙でも当選し衆議院議員を通算5期務めた[2]。憲政本党に所属し、改進主義を主張した[1]。任期満了後は、郷里に戻り六合村会議員を経て同村長に就任した[3]。ほか、志太郡会議員、静岡県常置委員、所得税調査委員、徴兵参事員、日本赤十字社地方委員などを歴任した[2]。1910年(明治43年)2月5日、病死した[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 山崎謙 編『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。
- 静岡新聞社出版局 編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。ISBN 4783804249。