北原年清
(年清から転送)
来歴
編集北遊斎一鵞及び月岡芳年の門人[2]。父は北原一郎といい、安政5年にその長男として信濃国飯田の伝馬町1丁目(現・長野県飯田市)に生まれる。幼名は秀次郎、後に秀司と称す。幼児期に一鵞の門人となり、一秀と号す。その後、壮年時に大蘇芳年の門下となり、心斎、年清と号して専ら肖像画を研究した。明治23年(1890年)頃の縮緬本の挿絵がみられる。明治31年(1898年)に建立された月岡芳年翁之碑には芳年門人の一人として「年清」の名がある。明治32年(1899年)、イギリス東洋艦隊の招聘に応じて清国に渡航、各地を漫遊して三年後、日本に帰国する。明治42年(1909年)10月1日には墓参のため故郷飯田に滞在、上郷(かみさと)村の親戚北原貞一郎宅に二週間滞在、有志らの揮毫に応じていた。また同年10月10日には木下清吉の家を所有していた。