平野長里

日本の江戸時代中期~後期の武士。下総鹿沼藩3代藩主内田正偏次男で、交代寄合表御礼衆平野長暁婿養子。交代寄合平野氏6代当主。従五位下遠江守。大番頭を勤める

平野 長里(ひらの ながさと、正徳6年(1716年)- 寛政元年閏6月4日1789年7月26日))は、大和交代寄合表御衆田原本6代領主。内田正偏の次男として生まれる。母は毛利元次の娘。久次郎。元服して、正盛と名乗り、平野長暁の娘婿となり、長隆と名乗り、のちに長里に改名した。通称は主水。

寛保3年(1743年)4月3日、長暁が致仕したのち家督を継ぐ。宝暦6年(1756年)8月15日、大番頭となり、12月18日に従五位下遠江守に叙任された。宝暦10年(1760年)10月16日に職を辞する。安永7年(1778年)12月12日に致仕し、嫡男の長純に家督を譲る。寛政元年(1789年)、74歳で没する。法名は義英。

子には長純のほか、酒井忠和室、長常(平野長好養子)らがいる。

参考文献

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