平野 富士夫(ひらの ふじお、1917年1月21日 - 1998年11月8日[1])は、日本機械工学者九州大学名誉教授。トライボロジー(摩擦学)の国際的権威[1]

経歴

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東京に生まれる[1]。1934年福岡県中学修猷館[2]、1936年旧制福岡高等学校理科乙類[3]を経て、1939年九州帝国大学工学部機械工学科を卒業する[1]

1939年九州帝国大学工学部講師となるが、同年10月には兵役に就き、陸軍技術大尉となり終戦を迎え、1946年九州帝国大学工学部に復職。1947年助教授を経て、1957年教授に就任する。1956年には工学博士の学位を得ている。1980年九州大学を定年退官し、大分工業高等専門学校校長に就任、1986年定年退職する[1]

この間、1978年から1980年にかけて日本潤滑学会(現・日本トライボロジー学会)会長を務めている[1]

1987年トライボロジー・ゴールドメダル受賞。

参考文献

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  • 板倉聖宣監修『事典 日本の科学者―科学技術を築いた5000人』日外アソシエーツ、2014年。ISBN 978-4-816-92485-9 662頁

脚注

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  1. ^ a b c d e f 板倉聖宣 2014.
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員28頁
  3. ^ 『福岡高等学校一覧 第19年度(自昭和15年4月至昭和16年3月)』(福岡高等学校編、1941年)193頁