平 政連(たいら の まさつら、生没年不詳)は、鎌倉時代末期の幕府官僚[1][2][3]。
1308年(徳治3年)8月、北条得宗家の内管領である長崎左衛門尉(長崎宗綱[2][3]、長崎円喜などの説あり)に宛てて書かれた『平政連諫草』の筆者[2][3]。同文書は北条貞時への諫言を目的として作られたものである[1][2][3]。
『平政連諫草』では「筑前権守政連」と称している。その前後の経歴および家系は不詳。三浦氏とする説[3]、中原氏とする説などがある。