平 惟忠(たいら の これただ)は、鎌倉時代の公卿。参議大蔵卿正二位。父は従三位平親国。参議を辞してのち、薨去するまで10年近く大蔵卿の任にあった。

 
平惟忠
時代 鎌倉時代
生誕 文治3年(1187年
死没 弘長3年1月21日1263年3月2日
官位 参議大蔵卿正二位
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇
氏族 桓武平氏高棟流行義系親宗
父母 父:平親国
母:不明
兄弟 惟忠有親範親
不明
親継、女子(堀川基具室、あるいは堀川具守[1]
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経歴

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以下、『公卿補任』及び『尊卑分脈』に基づいて記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『公卿補任』の基俊の項に従えば基具の室となり、『尊卑分脈』桓武平氏の惟忠の項に従えば具守の室となる。
  2. ^ 嘉陽門院当年御給。叙爵の年月は不明である。
  3. ^ 嘉陽門院暦仁元年御給
  4. ^ 式乾門院当年御給
  5. ^ 院御給
  6. ^ 秩満により大宰大弐を去る

参考文献

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