平原浩哉
平原 浩哉(ひらはら こうさい[1]、1908年(明治41年)9月27日[1] - 1992年(平成4年)10月7日[要出典])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。
経歴・人物
編集日本統治時代の台湾、台北庁生まれ。台北第一中を経て、第七高等学校造士館を卒業[2]。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、鹿児島県属となる[1]。1935年(昭和10年)10月、高等試験行政科試験に合格[2]。1937年(昭和12年)台湾総督府属に転じる[1]。1940年(昭和15年)1月、地方理事官に進み、台南州北門郡守に就任[1][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。