干場一夫
干場 一夫(ほしば かずお、1924年4月29日 - 2013年11月12日)は、北海道旭川市出身の元プロ野球選手(投手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道 |
生年月日 | 1924年4月29日 |
没年月日 | 2013年11月12日(89歳没) |
身長 体重 |
170 cm 63 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1950年 |
初出場 | 1950年4月16日 |
最終出場 | 1952年9月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集旧制北海道庁立旭川中学校(現:北海道旭川東高等学校)、日本製鐵輪西、旭川鉄道局を経て、1950年に大阪タイガースに入団。初年度である同年に10勝を挙げる活躍をする。オーソドックスなアンダースローの投手であった。1951年も先発陣の一角として期待されたが4勝に終わり、1952年に肩を故障して退団。わずか3年のプロ野球生活であった。
2013年11月12日、89歳で死去した[1]。
偵察メンバー第1号
編集予告先発制度の導入前によく行われていた投手による偵察メンバーであるが、干場はその第1号である。1950年4月22日、熊本市水前寺野球場での対中日ドラゴンズ戦で、中日の先発投手が左の清水秀雄か右の服部受弘で迷った松木謙治郎選手兼任監督は、前日の対広島カープ戦で完投勝利を挙げた干場を1番・レフトとして出場させる。服部の先発が分かると、1回表に左打者の金田正泰がレフトの守備に送られて交代した。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1950 | 大阪 | 37 | 21 | 10 | 2 | 0 | 10 | 4 | -- | -- | .714 | 832 | 192.1 | 190 | 19 | 91 | -- | 3 | 45 | 1 | 1 | 93 | 83 | 3.88 | 1.46 |
1951 | 27 | 9 | 2 | 0 | 0 | 4 | 6 | -- | -- | .400 | 350 | 81.1 | 83 | 15 | 32 | -- | 3 | 14 | 0 | 0 | 44 | 41 | 4.54 | 1.41 | |
1952 | 17 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 130 | 29.1 | 41 | 3 | 6 | -- | 1 | 2 | 0 | 0 | 13 | 10 | 3.07 | 1.60 | |
通算:3年 | 81 | 32 | 12 | 2 | 0 | 14 | 10 | -- | -- | .583 | 1312 | 303.0 | 314 | 37 | 129 | -- | 7 | 61 | 1 | 1 | 150 | 134 | 3.98 | 1.46 |
背番号
編集- 8 (1950年 - 1952年)
脚注
編集- ^ “OB NEWS Vol.60” (PDF). 公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ) (2014年2月). 2015年7月5日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 干場一夫 - NPB.jp 日本野球機構