帆風 (駆逐艦)
峯風型駆逐艦
艦歴 | |
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計画 | 1918年度(八六艦隊案) |
起工 | 1920年11月30日 |
進水 | 1921年7月12日 |
竣工 | 1921年12月22日 |
その後 | 1944年7月6日戦没 |
除籍 | 1944年9月10日 |
要目 | |
排水量 | 基準:1,215トン 公試:1,345トン |
全長 | 102.6メートル |
全幅 | 8.92メートル |
吃水 | 2.79メートル |
機関 | ロ号艦本式缶4基 パーソンズ式タービン2基2軸 38,500馬力 |
速力 | 39ノット |
航続距離 | 14ノットで3,600カイリ |
燃料 | 重油:395トン |
乗員 | 154名 |
兵装 | 45口径12cm単装砲4門 6.5mm単装機銃2挺 53.3cm連装魚雷発射管3基 (魚雷8本) 一号機雷16個 |
艦歴
編集舞鶴海軍工廠で建造。一等駆逐艦に類別され、横須賀鎮守府籍に編入。
1922年(大正11年)12月、同型艦「羽風」、「秋風」、「太刀風」とともに第四駆逐隊を編成し、第一水雷戦隊に編入された。
1933年(昭和8年)3月3日に発生した昭和三陸地震のとき、「帆風」は第四駆逐隊の上記僚艦と青森県の大湊要港部にあり、ともに出航した。「帆風」は岩手県の久慈で救援にあたった[1]。
太平洋戦争では南方で哨戒、海上護衛作戦に参加。
1943年(昭和18年)7月1日、「帆風」は船団護衛中にマカッサル海峡でアメリカ潜水艦「スレッシャー」の雷撃で損傷し、マカッサルで応急修理後10月18日までスラバヤで修理を行った。
1944年(昭和19年)7月6日、「帆風」はアメリカ潜水艦「パドル」の雷撃により、セレベス海サンギ島西岸沖にて沈没した。
歴代艦長
編集※『艦長たちの軍艦史』232-233頁による。階級は就任時のもの。
艤装員長
編集艦長
編集- (心得)高鍋三吉 少佐:1921年11月1日[2] -
- 岩城茂身 中佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日
- (心得)藤堂功 少佐:1923年12月1日 - 不詳
- 藤堂功 中佐:不詳 - 1925年12月1日[3]
- 小林徹理 少佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日
- 福田良三 少佐:1926年12月1日 - 1927年4月1日[4]
- 小松輝久 中佐:1927年4月1日 - 1927年12月1日[5]
- 難波正 少佐:1927年12月1日 - 1928年12月10日[6]
- 後藤鉄五郎 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 古瀬倉蔵 中佐:1929年11月30日 - 1930年3月8日[7]
- 池田久雄 中佐:1930年3月8日[7] - 1930年11月15日[8]
- 木村昌福 少佐:1930年11月15日 - 1932年1月28日[9]
- (兼)新美和貴 少佐:1932年1月28日[9] - 1932年8月5日[10] ※1932年1月28日より予備艦
- (兼)庄司芳吉 少佐:1932年8月5日[10] - 11月15日[11]
- (兼)荘司喜一郎 少佐:1932年11月15日 - 1932年12月1日
- 河西虎三 少佐:1932年12月1日 - 1934年11月15日
- 横井稔 少佐:1934年11月15日 - 1935年10月31日
- 楢原省吾 少佐:1935年10月31日 - 1937年4月20日[12]
- 川島良雄 少佐:1937年4月20日 - 1938年8月1日[13]
- 宇垣環 少佐:1938年8月1日 - 1939年11月1日[14]
- (兼)大田春男 少佐:1939年11月1日[14] - 1939年11月15日[15]
- 志摩岑 少佐:1939年11月15日 - 1940年1月6日[16]
- 矢部幸 少佐:1940年1月6日[16] - 1940年10月15日[17] ※1940年2月3日より予備艦
- 神浦純也少佐:1940年10月15日 - 1941年8月20日[18]
- 馬越正博 少佐:1941年8月20日 -
- 田中知生 少佐:1942年4月10日 -
- 吉永源 少佐:1943年5月15日 -
- 染谷英一 大尉:1944年3月1日 - 7月6日戦死
脚注
編集- ^ 伊藤大介「昭和三陸津波と軍隊」218頁、山本和重・編『北の軍隊と軍港』(地域の中の軍隊1 北海道・東北)、吉川弘文館、2015年。
- ^ a b 『官報』第2776号、大正10年11月2日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第75号、昭和2年4月2日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ a b 『官報』第956号、昭和5年3月10日。
- ^ 『官報』第1166号、昭和5年11月17日。
- ^ a b 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
- ^ a b 『官報』第1682号、昭和7年8月8日。
- ^ 『官報』第1765号、昭和7年11月16日。
- ^ 『官報』第3088号、昭和12年4月21日。
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第219号 昭和13年8月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第397号 昭和14年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076600
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第427号 昭和15年1月8日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077600
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第695号 昭和16年8月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081800
参考文献
編集- 『丸スペシャル』第51号 日本の駆逐艦Ⅱ、潮書房、1981年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
- 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
- 日本海軍人事手帳(?) - ウェイバックマシン(2006年5月6日アーカイブ分)