布施甚七
布施 甚七(ふせ じんしち、1863年11月27日(文久3年10月17日[1]) - 1919年(大正8年)2月10日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
編集上総国山辺郡辺田方村[注釈 1](のち千葉県山武郡東金町、現・東金市)出身[1]。生家は地主で[1]、普通学を学ぶ[2]。農業を営み[1]、東金町会議員、連合町村会議員、郡所得税調査委員[1]、東金町長、山武郡会議員、千葉県会議員となる[1][2]。また、(株)東金銀行頭取[2]、横芝銀行取締役等を務めた[1]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において千葉5区から自由党公認で立候補して初当選[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙では憲政党公認で立候補して再選した[4]。1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1919年に死去した。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『衆議院議員列伝』407頁では「東金町」。
出典
編集参考文献
編集- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。