大津市民病院
地方独立行政法人市立大津市民病院(しりつおおつしみんびょういん)は、滋賀県大津市にある医療機関[4]。地域医療支援病院である。
市立大津市民病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 地方独立行政法人市立大津市民病院 |
英語名称 | Otsu City Hospital |
前身 |
大津伝染病院 ↓ 大津市圓山病院 ↓ 大津回生病院[1][2] ↓ 大津市立病院[1] ↓ 大津市国民健康保険病院 ↓ 国民健康保険直営大津市民病院 ↓ 地方独立行政法人市立大津市民病院[3] |
標榜診療科 | 内科、心療内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科、小児科、精神科、神経内科、外科、整形外科、脳神経外科、呼吸器外科、心臓血管外科、産婦人科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、リハビリテーション科、放射線科、麻酔科、歯科、矯正歯科、歯科口腔外科、消化器外科、心療内科、病理診断科、乳腺外科、救急科、緩和ケア内科 |
許可病床数 |
439(2018年(平成30年)11月時点)[4] 一般病床:431床 感染症病床:8床 |
職員数 |
医師124人[4] 看護師441人[4] 医療技術職他131人[4] (2019年(平成31年)4月時点[4]) |
機能評価 | 3rdG:Ver.1.1 |
開設者 | 地方独立行政法人市立大津市民病院 |
管理者 |
理事長:河内明宏 院長:日野明彦 |
開設年月日 |
1899年(明治32年)7月 (大津伝染病院) ↓ 1907年(明治40年)7月 (大津市圓山病院) ↓ 1937年(昭和12年)4月 (組合立・伝染病院・大津回生病院)[1] ↓ 1948年(昭和23年)8月 (大津市立病院)[1]) ↓ 2017年(平成29年)4月 (地方独立行政法人市立大津市民病院) |
所在地 |
〒520-0804 |
位置 | 北緯35度00分00秒 東経135度52分35秒 / 北緯35.00000度 東経135.87639度 |
二次医療圏 | 大津 |
法人番号 | 5160005010395 |
特記事項 | 医療機関コード 医科 0107374 歯科 0137377 |
PJ 医療機関 |
歴史
編集1879年(明治12年)7月に、県が假避病舎を設置したのが始まりである。その後、1899年(明治32年)7月に大津伝染病院が開院、1907年(明治40年)7月に大津市圓山病院と名称変更し、1937年(昭和12年)4月に、大津市、滋賀郡雄琴村、坂本村、下阪本村の組合立伝染病院として、大津回生病院が膳所平尾町に開院した[1]。
第二次世界大戦後に進駐軍の軍政部から大津市長への申入れを受けて、伝染病以外にも診察範囲を広げることになり[2]、大津回生病院の建物を活用して[2]、1948年(昭和23年)8月に大津市立病院が開院した[1]。
この大津市立病院は「新設廉価」を掲げた市民向け医療機関として運営されるようになった[2]。
1963年(昭和38年)12月に竣工した[1]地下1階・地上5階建ての新館に[5]、1964年(昭和39年)1月に移転して新装開業した[1][5]。この新館では、主要な機能は同一の建物内に配置されたが[1]、伝染病棟は隣接する形で設置された[5]。
その後、1984年(昭和59年)4月に新病棟や管理棟の建設を含めた総合整備事業が完了して機能が拡充された[6]。
さらに、同一敷地内に併設されていた付属看護専門学校は石場のガスタンクの跡地に移転することになり[7]、1987年(昭和62年)1月19日に新校舎へ移転した[8][注釈 1]。
その後、外来や検査などの機能拡充を図るために大規模な増改築をすることになり[13]、1996年(平成08年)10月26日に滋賀県内初とされたホスピス病棟の新設を含む増改築を行い[14]、1999年(平成11年)3月に新病棟が竣工した[15]。
2017年(平成29年)4月1日には、地方独立行政法人化し、名称を市立大津市民病院として、新たな一歩を踏み出した。
2021年から2022年にかけて、多くの医師が退職の意向を示す中で、原因は理事長から医師がパワーハラスメントを受けたことによるものとの報道がなされた。
医師の大量退職問題
編集2022年(令和4年)2月になり、当病院に勤務する京都大学系の外科系を中心とした医師32人が退職を表明していることが表面化し、問題となった。退職の意向を示している医師らは、理事長の北脇城(京都府立医科大学出身)により、一方的に人員の削減や交代を迫られるなどのパワーハラスメントがあったと主張[16][17]。理事長はパワハラを否定したが、第三者委員会は理事長の言動が京都大学側の不信感を招いたことを指摘。パワハラは認められないとしたが、理事長は辞任[18][19]、理事長は2022年3月末をもって退任した[20]。院長も4月17日付での辞任を発表したが[21]、「肩書の変更で責任を取る」などとしてその後新たに院長代行に就任した[22]。看護師の離職率も11.6%(2021年)と大きく、患者は激減し過去最大の赤字を計上。2022年4月、再生を託され日野明彦(京都府立医科大学出身)が院長に就任。日野は他の病院で自ら新型コロナ対策を引き受けた実績がある。医療ジャーナリストの千田敏之は、京都大学医学部と京都府立医科大学医学部は鴨川を挟んで位置し、伝統的に対抗意識が強く、京都府立医科大学出身の医師が多い同病院では、各診療科の部長クラスのポストを同大学の教授が握っていると指摘した[16]。
年表
編集- 1899年(明治32年)7月 - 大津伝染病院が開院。
- 1907年(明治40年)7月 - 大津市圓山病院と名称変更。
- 1937年(昭和12年)4月 - 膳所平尾町に組合立・伝染病院・大津回生病院が開院[1]。
- 1948年(昭和23年)8月 - 大津回生病院の建物[2]、大津市立病院が開院[1]。
- 1950年(昭和25年)4月 - 大津市国民健康保険病院と改称。
- 1953年(昭和28年)4月 - 国民健康保険直営大津市民病院と改称。
- 1964年(昭和39年)1月 - 新館に移転[1][5]。
- 1984年(昭和59年)4月 - 大津市民病院付属看護専門学校を開設[23]。
- 1986年(昭和61年)3月 - 大津市民病院付属高等看護学院の最後の学生が卒業し、閉校[24]。
- 1987年(昭和62年)1月19日 - 大津市民病院付属看護専門学校が新校舎へ移転[8][注釈 1]。
- 1989年(平成元年)9月 - 駐車場棟が完成[25]。
- 1999年(平成11年)3月 - 新病棟へ移転[26]。
- 2000年(平成12年) - 旧本館を解体し第2立体駐車場を新設。旧新館を改築し現別館として整備。第1種感染症指定医療機関に指定される。
- 2003年(平成15年)6月 - 地域医療支援病院に指定される。
- 2017年(平成29年)4月 - 地方独立行政法人市立大津市民病院へ移行。
施設
編集救急診療「ERおおつ」は24時間・365日体制で、本館屋上にヘリポートも有する。
- 本館
- ヘリポート
- 第1種感染症病床(2床)
- 第2種感染症病床(6床)
- 神経難病治療センター(20床)
- 緩和ケア(ホスピス)病棟(20床)
- 別館
- 健診センター
- 放射線治療棟
- 管理棟
- 第1駐車場(211台収納)
- 第2駐車場(307台収納)
付属施設
編集診療科
編集医療機関の指定等
編集- 保険医療機関
- 労災保険指定医療機関
- 指定自立支援医療機関(更生医療・育成医療・精神通院医療)
- 身体障害者福祉法指定医の配置されている医療機関 臨床研修病院
- 生活保護法指定医療機関機関
- 特定疾患治療研究事業委託医療機関
- 原子爆弾被害者医療指定医療機関
- 小児慢性特定疾患治療研究事業委託医療機関
- 原子爆弾被害者一般疾病医療取扱医療機関
- 地域医療支援病院
- 災害拠点病院
- 臨床研修指定病院
- 第一種感染症指定医療機関(エボラ患者受け入れ機関)
- 第二種感染症指定医療機関
- 公害医療機関
- 母体保護法指定医の配置されている医療機関
周辺
編集アクセス
編集- 電車
- バス
- 自動車
- タクシー
- 琵琶湖線(東海道本線)大津駅より10分。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 『滋賀県史 昭和編 第五巻 社会厚生編』 滋賀県、1981年4月1日。
- ^ a b c d e 奈良本辰也 『新大津市史 上』 大津市、1962年1月。
- ^ a b ご挨拶 - 市立大津市民病院公式サイト、平成29年4月1日、同年5月23日閲覧
- ^ a b c d e f 青田貴光(2015年8月4日). “大津市民病院、独法に 市長「早期に移行」方針”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ a b c d 『1966年度版 滋賀年鑑』 滋賀日日新聞社、1965年11月。
- ^ “地域医療の中核に 大津市民病院 施設や機器充実 開設35周年 総合整備事業終わる”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1984年4月21日)
- ^ “ガスタンク跡に移転 市民病院付属看護学校 大津”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1985年12月1日)
- ^ a b c “19日から広々新校舎へ 大津市民病院付属看護学校”. 京都新聞(京都新聞社). (1987年1月14日)
- ^ “白衣の園、待望の起工 大津市民病院付属看護専門学校 12月に完成”. 京都新聞(京都新聞社). (1986年3月29日)
- ^ “看護婦専門学校が起工 大津市民病院”. 中日新聞 (中日新聞社). (1986年3月29日)
- ^ a b “実習室や研究室が完備 大津市民病院付属看護学校 新校舎しゅん工式”. 京都新聞(京都新聞社). (1987年2月11日)
- ^ “3倍も広くテニスもOK 大津市民病院看護学校”. 読売新聞(読売新聞社). (1986年12月30日)
- ^ “大幅増改築へ 狭くなった大津市民病院 外来、検査部門を拡充”. 京都新聞(京都新聞社). (1988年11月9日)
- ^ “増改築工事きょう起工式 地域の中核医療施設へ ホスピス病棟も開設 99年完成 大津市民病院”. 京都新聞(京都新聞社). (1996年10月26日)
- ^ “災害への備え万全 ホールに救急設備 地下に免震装置 大津市民病院、増築棟完成”. 京都新聞(京都新聞社). (1999年3月20日)
- ^ a b “医師が大量離職!赤字、権力闘争、患者激減…続出する難題に奔走する新院長に独占密着【ガイアの夜明け】(2023年7月7日)”. テレ東BIZ. 2023年7月21日閲覧。
- ^ 大津市民病院 外科系医師が大量退職 産経新聞 2020年3月1日
- ^ 大津市民病院の医師大量退職「パワハラ認められない」 産経新聞 2022年4月1日
- ^ “大津市民病院 医師19人退職意向 パワハラ“認められず””. NHK (2022年3月28日). 2022年3月28日閲覧。
- ^ パワハラ申告された理事長退任へ 医師大量退職意向の大津市民病院 産経新聞 2022年3月23日
- ^ “医師19人の退職意向に「責任を痛感」 大津市民病院長が辞任”. 朝日新聞. (2022年4月9日) 2022年4月10日閲覧。
- ^ “辞任の大津市民病院長が院長代行に 「肩書の変更で責任をとる」”. 朝日新聞. (2022年4月16日) 2022年4月16日閲覧。
- ^ a b “衣替え 初の入学式 大津市民病院付属看護専門学校”. 京都新聞(京都新聞社). (1984年4月6日)
- ^ “感激を胸に巣立つ 大津市民病院付属高看学院 最後の卒業式”. 京都新聞(京都新聞社). (1986年3月7日)
- ^ “284台収容OK 駐車場棟完成 大津市民病院”. 京都新聞(京都新聞社). (1989年9月9日)
- ^ “入院患者らが新病棟へ移動 大津市民病院”. 京都新聞(京都新聞社). (1999年3月31日)
- ^ “救護施設 滋賀保護院”. www.ex.biwa.ne.jp. 2022年9月21日閲覧。