市橋政勝
日本の江戸時代前期~中期の武士。近江仁正寺藩2代藩主市橋政信四男で、仁正寺藩世嗣(廃嫡)
市橋 政勝(いちはし まさかつ)は、江戸時代前期の近江国仁正寺藩の世嗣。通称は左京。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
---|---|
生誕 | 寛文2年(1662年) |
死没 | 享保11年7月8日(1726年8月5日) |
別名 | 左京(通称) |
藩 | 近江仁正寺藩世嗣 |
氏族 | 市橋氏 |
父母 | 市橋政信、溝口宣直長女・久 |
兄弟 |
政房、政勝、信治、蒔田定次継室、 山崎義方正室ら |
妻 | 南部直房娘 |
略歴
編集2代藩主・市橋政信の四男として誕生。母は溝口宣直の長女・久(慈光院)。正室は南部直房の娘(名は富)[1]。
兄・政房が早世したため嫡子となる。延宝4年(1676年)、徳川家綱に拝謁する。しかし、元禄6年(1693年)、病弱を理由に廃嫡された。代わって、一門から利政が養子に迎えられ嫡子となった。享保11年(1726年)、60歳で没した。