市川團蔵 (9代目)
日本の歌舞伎役者
九代目 市川 團蔵(いちかわ だんぞう、1951年(昭和26年)5月29日 - 2024年11月19日)は、歌舞伎役者。屋号は三河屋、定紋は縦長三升、替紋は結び柏。本名は市川 和雄(いちかわ かずお)。日本舞踊柏木流十代目宗家でもあった。
くだいめ いちかわ だんぞう 九代目 市川 團蔵 | |
屋号 | 三河屋 |
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定紋 | 縦長三升 |
生年月日 | 1951年5月29日 |
没年月日 | 2024年11月19日(73歳没) |
本名 | 市川 和雄 |
襲名歴 | 1. 初代市川銀之助 2. 九代目市川團蔵 |
別名 | 四世 |
出身地 | 日本・東京都 |
父 | 三世柏木衛門 |
子 | 二代目市川銀之助(廃業) 五代目市川茂々太郎(廃業) |
当たり役 | |
『義経千本桜』の武蔵坊弁慶 『髪結新三』の弥太五郎源七 『盟三五大切』の六七八右衛門 | |
来歴
編集東京生まれ。八代目市川團蔵の孫で、舞踊家の三世柏木衛門の子。昭和31年(1956)歌舞伎座『義経千本桜』の六代君で初代市川銀之助を名乗って初舞台。その後は二代目尾上松緑に師事し、立役として活躍する。
1966年(昭和41年)の祖父の引退興行では『書写山』の鬼若丸の型を伝授される。1987年(昭和62年)歌舞伎座『時今也桔梗旗揚』(馬盥の光秀)の武智光秀、『源平布引瀧』(実盛物語)瀬尾、『船弁慶』の弁慶で九代目市川團蔵を襲名する。中堅俳優として活躍。
1979年(昭和54年)、重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる[2]。国立劇場養成事業の歌舞伎俳優研修の講師も務めた[3]。
長男は二代目市川銀之助(三笠優)、次男は五代目市川茂々太郎。
2024年11月19日、誤嚥性肺炎による敗血症性ショックのため死去。同年5月の歌舞伎座『四千両小判梅葉』の隅の隠居が最後の舞台となった。73歳没[4]。
出演
編集テレビドラマ
編集映画
編集出典
編集- ^ “人物履歴: [9代目] 市川 團蔵”. 文化デジタルライブラリー. 独立行政法人日本芸術文化振興会. 2024年12月2日閲覧。
- ^ “会員一覧 | 伝統歌舞伎保存会”. www.kabuki.or.jp. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “研修講師インタビュー 中村時蔵師 | 独立行政法人 日本芸術文化振興会”. www.ntj.jac.go.jp. 2020年10月30日閲覧。
- ^ “歌舞伎俳優・市川團蔵さん死去 73歳 誤嚥性肺炎による敗血症性ショック 今年5月まで出演、後進育成にも尽力”. ORICON NEWS (2024年11月23日). 2024年11月23日閲覧。
外部リンク
編集- 市川 團蔵 (9代目) - 歌舞伎俳優名鑑
- 市川團蔵 - 日本俳優協会