巨勢 紫檀(こせ の したの)は、飛鳥時代貴族。名は辛檀努志丹とも記される。のち朝臣小徳巨勢大海の子。冠位は直大参・京職大夫

 
巨勢 紫檀
時代 飛鳥時代
生誕 不明
死没 天武天皇14年3月16日685年4月24日
別名 辛檀努、志丹
官位 直大参・京職大夫
主君 天武天皇
氏族 巨勢朝臣
父母 父:巨勢大海
兄弟 紫檀
麻呂
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経歴

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大化元年(645年国司次官として東国に赴任する[1]。翌大化2年(646年朝集使国造らに対して国司の施政状況が問われた際、国司の長官の一人であった穂積咋が百姓に対して不当に物資を徴求し、のち悔い改めて物資を返還したものの一部に留まったとして責任を問われる。また、その次官であった富制某(名不明)と紫檀も上官の過ちを正さなかったとして同様に責任を問われたが、結局大赦により全員赦されている[2]

天武天皇13年(684年八色の姓の制定により臣姓から朝臣姓に改姓する。天武天皇14年(685年)3月16日卒去。最終官位は京職大夫直大参

系譜

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  • 父:巨勢大海[3]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』大化元年8月5日条
  2. ^ 『日本書紀』大化2年3月19日条
  3. ^ a b 『続日本紀』養老元年正月18日条

参考文献

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