工藤 英一(くどう えいいち、明治3年10月17日[1]1870年11月10日) - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚

経歴

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青森県弘前市出身[2]1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業[2]農商務属となり、同年に高等文官試験に合格した[2]。翌年、鉱山監督官・盛岡鉱山監督署長となった[2]。以後、農商務書記官・福岡鉱山監督署長、特許局事務官・農商務省参事官などを歴任[1]1909年(明治42年)、韓国政府の招聘で農商工部鉱務局長となった[1]。その後、朝鮮総督府農商工部商工局長、全羅南道長官、平安南道長官を歴任[1]1919年大正8年)には京畿道知事に就任した[2]

脚注

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参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。