川越藤一郎
川越 藤一郎(かわごえ とういちろう、1914年4月9日 - 2002年4月16日)は、昭和初期の日本の元ラグビー選手。後に日本ラグビーフットボール協会第9代会長。
プロフィール
編集- 京都府京都市出身。
- 現役時代のポジションは主にセンター (CTB)。
- 日本代表キャップは1。
来歴
編集京都府立京都第一中學校(現在の京都府立洛北高等学校・附属中学校)を経て、早稲田大学(以下、早大)に進学。1937年度シーズンには早大の主将を務め、東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦の制覇に貢献。また日本代表選手として、1936年のニュージーランド学生代表 (NZU) 戦でキャップ1を獲得した。
その後、1987年〜1992年まで関西ラグビーフットボール協会会長(後に同協会名誉会長に就任)、1992年〜1994年まで日本ラグビーフットボール協会第9代会長を務めた。2002年4月16日、脳梗塞のため死去。88歳没[1]。
関連項目
編集参考文献
編集- 第33回 「ひねりのあるラグビー」 - 株式会社セプター
- 第27回「逆輸入の予感」 藤島 大 - 株式会社スズキスポーツ
- 『ザ・ワールドラグビー』(大友信彦 編、新潮社、ISBN 4104627011)の32ページ
- 『ラグビー 早明戦80年』(ベースボール・マガジン社、ISBN 4583613016)の59ページ
脚注
編集- ^ 川越藤一郎氏死去/元日本ラグビー協会会長 - 四国新聞 2002年4月16日付