川西国鉄前駅
川西国鉄前駅(かわにしこくてつまええき)は、かつて兵庫県川西市栄根にあった、能勢電鉄妙見線の駅である。妙見線の当駅 - 川西能勢口間廃線に伴い、1981年(昭和56年)に廃止された[1]。
川西国鉄前駅* | |
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廃止当日の川西国鉄前駅(1981年12月) | |
かわにしこくてつまえ KAWANISHI-KOKUTETSUMAE | |
(0.7 km) 川西能勢口► | |
下は川西池田駅、北にある駅は川西能勢口駅 | |
所在地 | 兵庫県川西市栄根 |
所属事業者 | 能勢電鉄 |
所属路線 | 妙見線 |
キロ程 | 0.0 km(川西国鉄前起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1917年(大正6年)9月2日[1] |
廃止年月日 | 1981年(昭和56年)12月20日[1] |
乗換 | 川西池田駅(国鉄福知山線) |
歴史
編集院線池田駅(後の川西池田駅)と貨物の連絡を図るために設置された駅であるが、当駅が存在していた時期の大半において川西池田駅の駅舎は現在より西にあり、徒歩連絡が容易になったのは川西池田駅が移転された1980年(昭和55年)から1年余りの間に過ぎない。また福知山線が宝塚駅まで電化開業した1981年(昭和56年)4月1日からわずか8か月余りでの廃止となった。
当初「池田駅前」として開業したが、1951年(昭和26年)に国鉄池田駅が「川西池田駅」へ改称されたため、後の1965年(昭和40年)に当駅名を「川西国鉄前」に改称している。
廃止後、駅跡は駅前再開発により整地され、往時を偲べるものは残されていない。
年表
編集駅構造
編集単式ホーム1面1線のみを持つ地上駅。当初は木造のホーム上屋があった[3]が、廃止直前には駅名標とホームがあるだけだった。
貨物の取り扱いがあった頃には、ホームの手前から分岐した貨物線が国鉄池田駅(後の川西池田駅)構内の貨物ヤードまで延びていたが[4]、貨物の取り扱いがなくなった戦後は放置されていた[5]。この貨物線は国道176号を跨いでおり、阪急電鉄から貸与または譲渡された車両を搬出入する際に国道176号上の踏切が活用されたこともある[6]。
駅周辺
編集備考
編集当駅から川西能勢口駅へ延びる路線は「国鉄前線」と呼ばれ、かつては三ツ矢サイダーや農産物の輸送もあった[7]。当線には大きなS字カーブがあり、列車は時速約30キロで両駅間を約6分かけて結んでいた[7]。1959年(昭和34年)以降は1両編成の運行となり、1975年(昭和50年)2月から午前3往復・午後2往復の計5往復に減便した[7]。国鉄前線は1980年(昭和55年)に川西能勢口駅付近の高架化事業に伴い当線の廃線が決定し、1981年(昭和56年)12月19日の最終営業をもって廃線となった[7]。往時を偲ばせるものとして、川西能勢口駅付近に車輪のモニュメントがある[8]。
隣の駅
編集- 能勢電鉄
- 妙見線
- 川西国鉄前駅 - 川西能勢口駅
脚注
編集- ^ a b c d e f g 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』 14号 神戸電鉄・能勢電鉄・北条鉄道・北近畿タンゴ鉄道、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年6月19日、16-17頁。
- ^ 柳谷政人「ぷらっと沿線紀行67 能勢電鉄 カーブにまっすぐ勝負」『朝日新聞』大阪本社版 2008年9月27日付夕刊、第1面および第3面。
- ^ 複数の写真で確認できる(『朝日新聞』「ぷらっと沿線紀行67」、『のせでん 昔ギャラリー』2頁など)
- ^ “日本通運川西池田営業所と川西池田貨物ヤード”. 総和技研. 2023年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年10月15日閲覧。
- ^ 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄 80年史』、1991年、210頁。
- ^ 能勢電鉄株式会社・鉄道事業部編 『のせでん 昔ギャラリー』、2009年、32頁および47頁の画像を参照
- ^ a b c d 「川西能勢口 - 川西池田駅間に電車?」『朝日新聞デジタル』2016年4月23日。オリジナルの2023年1月27日時点におけるアーカイブ。2023年10月15日閲覧。
- ^ 「車輪のモニュメント 40年残る「前線」の記憶 /兵庫」『毎日新聞』2020年1月13日。オリジナルの2020年1月13日時点におけるアーカイブ。2023年10月15日閲覧。
参考文献
編集- 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII 北陸・上越・近畿編』、JTBパブリッシング、2008年、102頁。ISBN 978-4-533-07145-4