川島純幹
日本の官僚・教育者
川島 純幹(かわしま すみもと / じゅんかん、1863年12月12日(文久3年11月2日)- 1920年(大正9年)10月25日)は、日本の教育者、内務官僚。師範学校長、県知事。玄洋社社員[1]。旧名・甚太郎[1]。
経歴
編集筑前国出身。川島計の長男として生まれる。1886年、帝国大学法学部を卒業。1892年2月、鹿児島高等中学造士館教授に就任し、同年12月、同舎監を兼任。1893年8月、佐賀県尋常師範学校長となり、さらに奈良県尋常師範学校長を務めた。
1897年5月、内務省に転じ滋賀県参事官に就任。以後、三重県警察部長、佐賀県・大分県・千葉県・鳥取県の各書記官、和歌山県事務官・第一部長兼第三部長[2]などを歴任。
1907年1月、滋賀県知事に就任し、1912年12月に休職。1913年2月、鳥取県知事となり、1914年6月に休職。1917年1月、福井県知事に就任。1919年4月に退任した。
栄典
編集著書
編集- 『衆議院議員選挙要論』敬業社、1889年。
- 『米国史』博文館、1890年。
- 『日本歴史講義 第1集』敬業社、1891年。
脚注
編集参考文献
編集公職 | ||
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先代 正木直彦 校長事務取扱 |
奈良県尋常師範学校長 1896年 - 1897年 |
次代 沢幸次郎 |
先代 小宮山弘道 |
佐賀県尋常師範学校長 1893年 - 1896年 |
次代 久保田貞則 |