川勝 雲堂(かわかつ うんどう、寛文元年(1661年) - 享保15年5月7日1730年6月21日))は、江戸時代前期 - 中期の俳諧師

来歴・人物

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寛文元年(1661年)、京都に生まれた。俳号の「雲堂」は、禅寺雲水たちが学ぶ僧堂の別称に由来している。「吹松庵」、「甘舎」とも号した。江戸時代の冠句[1]の唱道者である堀内雲鼓[2]に師事した。雲堂自身も冠句を得意とし、主に元禄時代(1688年 - 1704年)に活躍した。京都俳壇の雑俳点者として知られ、『削かけ』、『花の兄』等を編集・執筆している。享保15年(1730年)5月7日、70歳で没した。

ちなみに、元禄時代に「冠句」は隆盛を極めたが、雲鼓の没後しばらく衰微していた。しかし、太田久佐太郎の努力によって、昭和初期に再興なって今日に至っている。

脚注

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  1. ^ 俳句から派生した短文詩で、5文字の題目と12文字の対句の掛け合いで表現されるもの。
  2. ^ 貞門派俳諧師(1728年没)。京都の上徳寺に「日のめぐみ うれしからずや 夏木立」(雲鼓作)の句碑がある。

参考文献

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  • 『俳諧人物便覧』 三浦若海著、加藤貞彦編、ゆまに書房、1999年6月 ISBN 4-89714-729-8 ほか

関連項目

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