川勝広致
川勝 広致(かわかつ ひろゆき)は、江戸時代中期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の9代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 安永3年(1774年) |
死没 | 寛政8年4月16日(1796年5月22日) |
別名 | 健三郎、左京(通称) |
戒名 | 廣致(法名) |
墓所 | 東京都港区東麻布の瑠璃光寺 |
幕府 | 江戸幕府 旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 川勝氏 |
父母 |
父:妻木頼栄、母:某氏 養父:川勝広品 |
兄弟 | 広致 |
妻 | 正室:川勝広品の娘 |
子 | 広業、某(金之丞) |
生涯
編集安永3年(1774年)、妻木頼栄の六男として江戸に生まれ、後に川勝広品の婿養子となった。寛政3年(1791年)5月6日、義父広品の死去により家督(丹波内2,570石余)を継ぎ、小普請となった。
その後、的を射て時服2領を給わった。
寛政8年(1796年)4月16日、23歳で早世した。5年足らずの当主で、無役のままで生涯を終えた。家督は嫡男の広業が継いだ。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年
- 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典(第2巻)』東洋書林、1998年
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