川俣浩明
川俣 浩明(かわまた ひろあき、1972年8月12日 - )は、神奈川県横浜市[1]出身の高校野球指導者。元プロ野球選手。
藤沢翔陵高等学校 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市栄区 |
生年月日 | 1972年8月12日(52歳) |
身長 体重 |
191 cm 92 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1996年 ドラフト3位 |
初出場 | 1997年5月25日 |
最終出場 | 2000年7月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督歴 | |
この表について
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来歴・人物
編集小学3年から野球を始める[1]。
藤沢商業高等学校(現在の藤沢翔陵高等学校)では2年春からエースとなる[1]。最後の夏は県大会5回戦で敗退[1]。卒業後、大阪ガスに所属し、都市対抗野球では救援登板のみ[2]だが、1996年の日本選手権では初戦で延長10回を完投勝利して2回戦では入来祐作(本田技研)に投げ勝ってベスト8[3]。1996年度ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから3位指名を受け、入団[1]。1997年シーズンに一軍初登板。
2001年シーズンオフに自由契約となり、阪神タイガースの入団テストを受け、合格[1]。しかし、一軍で登板することなく2002年シーズンオフに自由契約を受け、現役を引退[1]。
その後は建設工事会社に勤務したが1年ほどで退職[4]。神奈川大学に入学し、社会科の教員免許を取得[4]。2008年に母校・藤沢翔陵高等学校にて教員となり、2010年より野球部監督を務めている[4]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1997 | ロッテ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 41 | 6.2 | 15 | 4 | 6 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 12 | 10 | 13.50 | 3.15 |
1998 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 102 | 26.2 | 18 | 4 | 7 | 0 | 0 | 21 | 1 | 0 | 10 | 9 | 3.04 | 0.94 | |
1999 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 47 | 10.0 | 11 | 3 | 4 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 8 | 5 | 4.50 | 1.50 | |
2000 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 44 | 9.0 | 10 | 3 | 6 | 0 | 1 | 11 | 1 | 0 | 9 | 9 | 9.00 | 1.78 | |
通算:4年 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 234 | 52.1 | 54 | 14 | 23 | 0 | 2 | 46 | 3 | 0 | 39 | 33 | 5.68 | 1.47 |
記録
編集- 初登板:1997年5月25日、対オリックス・ブルーウェーブ7回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表に2番手として救援登板、2回1/3を5失点
- 初奪三振:同上、4回表に塩崎真から
背番号
編集- 15 (1997年 - 2001年)
- 58 (2002年)
登録名
編集- 川俣 浩明 (かわまた ひろあき、1997年 - 2001年)
- 川俣 ヒロアキ (かわまた ひろあき、2002年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 川俣浩明 - NPB.jp 日本野球機構